マリアとマルタの家のキリスト

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マリアとマルタの家のキリスト

マリアとマルタの家のキリスト

制作年代:1654〜1655年頃
技法:カンヴァス、油彩
サイズ:158.5×141.5cm
所蔵:エディンバラ、スコットランド国立美術館
来歴:スコットランドの実業家ウィリアム・アラン・コーツが1901年に購入。彼の死後、スコットランド国立絵画館に遺贈された。

 

現存するフェルメール作品のうち、サイズの点では最大のもの。画題は『ルカによる福音書』10章のエピソードに基づく。キリストはマルタとマリアという姉妹の家に招待された。マルタはキリストをもてなすため忙しく働いている。一方で、マリアは座り込んだままキリストの言葉に耳を傾け、働こうとしない。マリアをなじるマルタに対してキリストはこう言った。「マルタ、マルタ。あなたは多くのことに心を配り、思いわずらっている。しかし、大切なことは1つしかない。そしてマリアは良い方の選択をしたのだ」。マリアの頬に手を当てるポーズは図像学的には「メランコリー」を意味し、マリアが裸足であるのはキリストへの謙譲を意味する。

フェルメール『マリアとマルタの家のキリスト』について

『マリアとマルタの家のキリスト』(オランダ語:*Christus in het huis van Martha en Maria*、英語:*Christ in the House of Martha and Mary*)は、ヨハネス・フェルメールが1654年から1656年頃に制作した油彩画で、現在はスコットランド国立美術館(エディンバラ)に所蔵されています。この作品は、フェルメールの現存する作品の中で数少ない宗教画の一つであり、彼の初期の画業における極めて重要な位置を占めています。約160×142センチメートルという大きなサイズで制作されたこの作品は、フェルメールの芸術的発展を理解する上で不可欠な存在です。

聖書の物語と宗教的主題

この絵画の主題は、新約聖書ルカによる福音書第10章38節から42節に記された有名な物語に基づいています。イエス・キリストがベタニアの村を訪れ、マルタという女性の家に立ち寄った際のエピソードです。物語では、姉のマルタが客人をもてなすための料理や給仕に忙しく立ち働く一方で、妹のマリアはイエスの足元に座り、その教えに静かに耳を傾けていました。 マルタは妹が手伝わないことに不満を抱き、イエスに「主よ、妹が私だけ働かせていますが、何とも思われないのですか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と訴えます。これに対してイエスは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配り、思い悩んでいる。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げられることはないだろう」と答えました。 この物語は、物質的な奉仕と精神的な献身の対比を通して、真の信仰のあり方について深い教訓を与えています。日常の実務的な責任と内面的な精神的探求のバランスという、時代を超えて人間が直面する普遍的な課題を扱っており、西洋美術において長く愛され続けてきた主題の一つです。

構図と人物描写の芸術的特徴

フェルメールはこの宗教的な場面を、親密で人間味あふれる家庭的な情景として描いています。画面の中央にはイエス・キリストが深い青の衣をまとって穏やかな表情で座っており、その足元には深紅の衣装をまとったマリアが肘をついて、深い敬愛の念を込めて見上げています。画面の左奥には、白いエプロンを身に着けたマルタが立ち、パンの入った籠を手に持ちながら、やや困惑した表情でイエスとマリアの方を見つめています。 この三人の人物の配置は、彼らの心理的な関係性を巧みに表現しています。マリアの静謐で集中した姿勢は精神的な探求を、マルタの動的で実用的な姿勢は日常的な労働を象徴しており、両者の対比がこの物語の核心的なメッセージを視覚的に伝えています。イエスの穏やかで理解に満ちた表情は、両方の態度を受け入れながらも、より深い真理への導きを示しています。

色彩の象徴的意味と光の表現

フェルメールは色彩を効果的に使用して、物語の宗教的な意味を視覚的に強化しています。マリアの鮮やかな深紅の衣装とイエスの深い青の衣が画面に強烈な色彩のコントラストを与えています。青色は伝統的に聖母マリアを象徴する色として用いられ、精神性、純粋さ、瞑想的な性質を表現しています。一方、赤色は情熱、活動性、現世的な関心を象徴しており、この色彩の選択は物語の宗教的な意味を深く表現しています。 光の表現においても、フェルメールの才能の萌芽が見て取れます。室内に差し込む自然光は、人物たちの表情を柔らかく照らし出し、それぞれの内面的な状態を繊細に表現しています。この光の処理は、後の傑作群で見られる「光の魔術師」としてのフェルメールの特徴につながる重要な要素となっています。

初期作品としての技法的特徴

『マリアとマルタの家のキリスト』は、フェルメールの初期作品に特有のいくつかの重要な特徴を示しています。まず、人物のスケールが大きく、画面全体を占めるように描かれている点です。フェルメールの後期作品では、人物が比較的小さく描かれ、室内の空間や光の描写が主役となることが多いのに対し、この作品では人物が主体となっており、物語のドラマ性を強調する構成となっています。 筆致についても、後の作品に比べてやや粗く、大胆さが感じられます。これは、彼がまだ独自の洗練された表現技法を確立する以前の段階にあったことを示しており、若い画家の情熱と実験精神を感じさせます。光の描写も、成熟期の作品に見られるような繊細な空気感や質感の表現とは異なり、より直接的で劇的な効果を狙ったものとなっています。

イタリア・バロック美術の影響

この作品には、当時のイタリア・バロック絵画、特にカラヴァッジョ派の画家たちからの強い影響が明確に見て取れます。暗い背景から人物たちが浮かび上がるような劇的な明暗対比(キアロスクーロ)の手法や、感情表現の豊かさ、物語性の重視といった要素は、当時の宗教画の主要な潮流と一致しています。 この様式的影響は、若きフェルメールが同時代の先進的な美術動向を積極的に学び、自身の技法に取り入れていたことを示しています。イタリア美術の技法を学びながらも、フェルメール独自の人間性重視の姿勢や、日常的な親しみやすさを保持している点が、この作品の特徴的な魅力となっています。

17世紀オランダ社会との関連

この作品が制作された1650年代のオランダは、プロテスタント国家でありながら、依然としてカトリック信者のコミュニティが存在していました。フェルメール自身も後にカトリックに改宗したことから、この宗教的主題への関心は彼の個人的な信仰的背景と深く関連している可能性があります。 また、マルタとマリアの物語は、当時のオランダ社会における女性の役割について考察する上でも興味深い主題です。家庭内での労働と精神的な探求という二つの価値観の対比は、17世紀の女性たちが直面していた現実的な問題を反映しているとも解釈できます。

フェルメールの画業における位置づけ

『マリアとマルタの家のキリスト』は、フェルメールが1653年に画家組合に登録した後、比較的早い時期に制作されたと考えられています。この作品は、フェルメールが初期に宗教的な主題や歴史画に取り組んでいたことを示す貴重な証拠となっています。当時、宗教画や神話画は、風俗画よりも格が高いとされたジャンルであり、若い画家が技術と名声を確立するための重要な分野でした。 しかし、フェルメールはその後、徐々に室内風俗画へと関心を移し、『牛乳を注ぐ女』や『真珠の耳飾りの少女』のような、光と静寂に満ちた独自のスタイルを確立していきます。この作品で見られる人物の心理描写への関心、光と色彩の繊細な表現、そして日常的な場面を通して普遍的な真理を表現する手法は、後の傑作群の基礎となる重要な要素として既に現れています。

現代における意義と普遍性

『マリアとマルタの家のキリスト』が現代の観者にとっても魅力的であるのは、その描く人間の葛藤が時代を超えて普遍的だからです。日常の責任と精神的な充実のバランスを取ることの難しさ、物質的な配慮と内面的な成長の両立という課題は、現代人にとっても切実な問題です。 現代社会において、私たちは常に効率性や生産性を求められる一方で、内面的な充実や精神的な成長の重要性も認識しています。マルタとマリアの対比は、この現代的なジレンマを象徴的に表現しており、フェルメールの作品が持つ時代を超えた普遍的なメッセージを示しています。

結論

『マリアとマルタの家のキリスト』は、フェルメールの画業の出発点を示すと同時に、彼の芸術的な本質を理解する上で不可欠な作品です。宗教的な主題を通して人間の内面を探求する姿勢、光と色彩による繊細な表現、そして日常性の中に普遍的な真理を見出す能力は、すべて後の傑作群につながる重要な要素として、この初期作品の中に既に萌芽として現れています。 この作品は、フェルメールが単なる「風俗画の画家」ではなく、幅広い主題に関心を持ち、様々な様式を試しながら独自の表現を模索していった過程を示す重要な証拠となっています。フェルメール芸術の豊かさと深さを理解するためには、この作品から始まる彼の芸術的探求の軌跡を辿ることが極めて重要であり、美術史における貴重な遺産として今後も研究され、愛され続けることでしょう。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)

1632年〜1675年

フランドル派

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)

1632年オランダ生まれのフランドル派ヨハネス・フェルメール。

彼の生涯作品は35点ほどであると言われており、極端に少ない。

彼ははじめ物語画家として出発したのち、風俗画家に転向。

彼の作品の特徴として挙げられるのが、「フェルメール・ブルー」といわれる青色絵の具を使っていること。

当時金と同じくらいの価格で取引されていたという鉱石ラピスラズリを原料とする貴重な絵の具を、数少ない生涯作品のうち、24点もの作品に使っていたという。

絶対王政時代の17世紀ヨーロッパ。オランダは王を戴かず、経済の力で大国になった。海洋貿易、軍事、科学技術で世界を牽引し、文化・芸術も大きく花開いた。

 

「他国では王侯貴族や教会の占有物だった絵画が、フェルメールの生きた十七世紀オランダでは庶民の家の壁にもふつうに飾られていました。

フランス印象派より二世紀も先に、庶民のための芸術が生まれていたのです」(あとがきより)

 

フェルメール、ハイデンの風景画からは市民の楽しげな暮らしが見て取れる。

レンブラント、ハルスの集団肖像画は自警団の誇りと豊かさを、

ロイスダールの風車画はオランダ人の開拓魂を、

バクハイゼンの帆船画は東インド会社の隆盛と経済繁栄を伝える。

ヤン・ブリューゲル二世はチューリップ・バブルに熱狂した意外な一面を描き、

ステーンが描く陽気な家族からは、人々の愉快な歌声まで聞こえる。

 

フェルメールが生きたのは、こんなにも熱気あふれる“奇跡の時代”だった。

人々は何に熱狂し、何と闘い、どれほど心豊かに生きたかーー15のテーマで立体的に浮かび上がる。

 

『怖い絵』著者・中野京子が贈る《名画×西洋史》新シリーズ誕生!

 

絵画40点フルカラー掲載。

 

2022年開催『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』で来日中の『窓辺で手紙を読む女』の修復前後の絵も収録(「手紙」の章)。

本書を読むと、美術展の楽しみも倍増です!