ソフィー・ジャンジャンブル・アンダーソン(Sophie Gengembre Anderson, 1823-1903)による《Take the Fair Face of Woman》は、1869年頃に制作されたとされる油彩画で、その幻想的な美しさから「妖精」とも呼ばれ親しまれています。この作品は、ヴィクトリア朝時代の理想的な美意識と、ロマンティックな想像力が見事に融合した傑作として高く評価されています。
画面中央には、鮮やかな赤毛の若い女性が描かれており、その神秘的な美しさは観る者を魅了します。彼女は頭に野花や植物で編まれた花冠を戴き、緑色の柔らかな衣をまとっています。特に印象的なのは、彼女が手に抱えている小さなカエルです。このカエルは、童話や伝承において変身や魔法の象徴とされ、作品全体の幻想的な雰囲気を一層高めています。
妖精の表情は穏やかで神秘的であり、わずかに微笑みを浮かべた唇と、遠くを見つめるような眼差しが、観る者を幻想的な世界へと誘います。背景は深い暗色で統一され、森の奥や洞窟のような幻想的な空間が示唆されており、この人物が現実世界を超越した存在であることを暗示しています。
アンダーソンの技術的な熟練度は、この作品の随所に表れています。金色に輝く豊かな巻き毛は、一本一本が丁寧に描かれ、光の当たり方によって微妙に色調を変化させています。この髪の表現は、アンダーソンが得意とした光の効果を巧みに活用した技法の典型例といえるでしょう。
肌の質感は透明感があり、まるで内側から光を放っているかのような美しさを表現しています。妖精の顔や髪に当たる光は、単なる照明効果を超えて、超自然的な輝きを表現しており、この存在が現実の世界を超えた神秘的な生き物であることを示唆しています。
色彩においては、暖色系の色調を中心とした豊かな表現が用いられています。金色の髪、薔薇色の頬、そして柔らかな肌の色調が調和し、全体に温かみのある雰囲気を創り出しています。背景の深い色調との対比により、妖精の姿がより一層際立って見えるよう計算されています。
作品のタイトル「Take the Fair Face of Woman」は、ウィリアム・シェイクスピアのソネット第20番の一節に由来するとされています。この詩句は、女性の顔が自然の手によって描かれたかのような美しさを讃えるものであり、作品に描かれた女性の神秘的で完璧な美しさをより一層際立たせています。
妖精という主題は、純粋性、自然との調和、そして現実を超越した美の象徴として解釈できます。手に抱かれたカエルは、変身や魔法の象徴として、物語性と神秘性を作品に付与しています。アンダーソンが描く妖精は、威嚇的でも神秘的すぎることもなく、むしろ親しみやすい美しさを持っており、これはヴィクトリア朝時代の家庭的な価値観と、理想化された女性像を反映したものと考えられます。
この作品は、19世紀後半のイギリスで流行した妖精画の伝統に属しています。ヴィクトリア朝時代には、産業革命による急速な社会変化への反動として、自然や超自然的な世界への憧憬が高まりました。アンダーソンの妖精は、そうした時代の精神を反映した作品として理解することができます。
同時代のラファエル前派の画家たちと同様に、アンダーソンも中世的な美意識や幻想的な主題に関心を寄せていました。しかし、彼女の作品は、より親しみやすく優美な表現を特徴としており、観る者に安らぎと美的な満足感を与えます。このような特徴は、ヴィクトリア朝時代に流行した神話や伝説、妖精物語への関心を反映しており、当時の文化的背景を理解する上でも重要な意味を持っています。
《Take the Fair Face of Woman》は、アンダーソンの技術的な熟練度と芸術的感性の高さを示す重要な例です。写実的な描写力と想像力豊かな主題の選択により、単なる肖像画を超えた詩的な世界を創造しています。この作品は、見る者に対し、美と幻想の世界への誘いを投げかけているかのようであり、現実の世界から一歩踏み出して、幻想的な物語の世界へと誘う魅力を持っています。
現在でも多くの人々に愛され続けているのは、その普遍的な美しさと、観る者の心に訴えかける情感の深さゆえでしょう。ソフィー・アンダーソンの《Take the Fair Face of Woman》は、19世紀ヴィクトリア朝絵画の美意識を現代に伝える貴重な作品として、美術史上重要な位置を占めています。また、女性画家として当時の社会的制約を乗り越えて成功を収めた彼女の業績を示す代表作として、美術史における女性の地位向上を象徴する重要な意味も持っています。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
描くことに命を燃やした女性たちの生涯と作品に光を当てる初の入門書。女ゆえに、女だからこそ直面した数々の問題と向き合いながら美の歴史に鮮やかな輝きを残した画家たちの波瀾万丈の人生。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 ルネサンス・バロック・ロココの女性画家ー16〜18世紀(ソフォニスバ・アングィッソーラ/アルテミシア・ジェンティレスキ ほか)/第2章 写実主義・印象派・世紀末の女性画家ー19世紀(ローザ・ボヌール/ソフィー・アンダーソン ほか)/第3章 現代にはばたく女性画家ー20世紀(シュザンヌ・ヴァラドン/マリアンネ・ウェレフキン ほか)/第4章 日本の女性画家ー17〜20世紀 江戸時代・明治・大正・昭和(清原雪信/光子内親王 ほか)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
千足伸行(センゾクノブユキ)
1940年、東京生まれ。東京大学文学部卒。TBS(東京放送)を経て国立西洋美術館に勤務。1970〜72年、西ドイツ(当時)政府給費留学生としてドイツに留学。1979年より成城大学文芸学部芸術学科に勤務。同大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)