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カスタマーレビュー
おすすめ度:
“満洲の夜”を支配する甘粕正彦の幻影。
(2008-09-01)
“満洲の夜を支配する”と言われたという甘粕の実像を描いて、甘粕がやさしい人間性と
あえて言えばリベラルな人類愛の持ち主でもあったことを示している。
従来の「大杉事件」の鬼憲兵といった類のステレオタイプの甘粕像を持っていた
わたしは、彼がなぜ満洲に渡り満映の理事長になったのか、実に不可解であった。
軍人としての挫折、恐らく心ならずも負った罪はいかばかり彼の心を蝕んだことか。
帝国陸軍に限らず、軍隊は本来的に上官の命令は絶対であるから、自分の思いとの
乖離に悩む人は軍人には向かない。
軍隊とは非人間的な組織であるといわれる所以だ。
だからこそ、甘粕は軍人の腐敗や権力主義を超えて天皇至上主義に自らの救いと
絶対的な”よすが”を求めたのだろうか。
しかし「大杉事件」がなかったら、果たして甘粕は、そのまま憲兵隊にいただろうか?
甘粕の波乱の人生は、「大杉事件」に端を発し、それから逃れることが出来なかった
ことは間違いないが、彼の人生はそれによって開かれたのかもしれない。
さまよえる甘粕 分裂した魂の咆哮
(2008-08-18)
筆者が「満州の夜と霧」と題した第2作にあたる。前作「阿片王」の続編として、里見甫と同様、「人工国家」満州国に暗躍した「主義者殺し」甘粕正彦の人間像に迫ったドキュメンタリーである。
前作は、後半に至るほどに脱線気味になり、里見に深く関わった女性の人間像を必要以上に掘り下げ過ぎている感があった。関係者の証言から、円の中心にいる里見の人間像を照射することが目的のはずが、最後まで里見に届かないため、読後に若干の不満が残ったものである。
本作では、関係者の証言は、甘粕という円の中心から離れずに、あくまで甘粕の人間像を浮かび上がらせる道具として登場する。しかも、数々の証言が、万華鏡を通したかのように、多彩かつ混沌とした甘粕像を覗かせている点で、証言による人物像の構築に成功しているといってよい。
関東大震災の混乱に乗じて、大杉栄と伊藤野枝を虐殺した「主義者殺し」であり、関東軍の庇護下で満州国の夜の帝王と称され、里見と比較して、さしずめ「謀略王」とでも呼べるのが、甘粕の一般的なイメージであるが、本作を読むと、そのイメージが皮相に過ぎないことがわかる。
甘粕は、大杉暗殺という軍の謀略の罪をかぶって収監されて以降、極度に自我を封印し、帝国の繁栄をよすがとして、ひたすらに自己犠牲の道を歩み始めている。おそらく落馬による怪我で、憲兵という軍人の傍流を歩まざるを得なかったとき既に、謹直さと破滅願望が同居するという、後の甘粕の性格の萌芽があったものと考えられる。ときに大酒を飲んで暴れ、ときに部下を激しく叱責し、またときにこれ以上ない哀惜の表情を浮かべて窓辺に佇む姿からは、孤独と劣等感に苛まれた甘粕の魂の悲痛な叫びが聞こえてきそうである。また彼が友人たちにあてた手紙には自己憐憫の言葉があふれており、甘粕の複雑な実相が垣間見える。
乱心の広野をさまよい続けた甘粕正彦という男。満州国の崩壊とともに「服毒」という方法で自決した彼が最後に見た心象風景は、果たしてどのようなものだったのだろうか。
「時代の犠牲者」というのは簡単であるし、また「運命は星ではなく自分自身にある」と達観するのも安直であろう。混沌に溶け込んだ甘粕正彦の生涯を、他の読者はどう見るだろうか。一読をお勧めする。
鬼籍前の人々の貴重な声を拾う。
(2008-08-16)
■ 【甘粕大尉を巡る人々 】
著者は、社会主義者(大杉 栄)殺しで当時の、憲兵司令部
という官僚組織のスケープゴートになった甘粕正彦大尉
に関して、その人物像を関係する人物、文献、その他の
資料を国内のみならず、中国の関係各地をも訪ねて面
談して、本書を著している。
■ 【甘粕大尉の半生 】
甘粕大尉は、懲役10年の実刑判決を受け、千葉の刑務
所で服役。しかし、皇室の慶弔行事も重なり、わすか3年
弱で仮出獄をする。その後、結婚。フランスでの新婚滞
在から帰国。中国大陸に渡り、1932年の『満州国』建国
に尽力。東条英機関東軍参謀長らと親交、後、1939年
のノモンハンでの大敗北の為、関東軍の主要メンバー
は、帰国。甘粕大尉は、満洲に留まり、満鉄映画会社理
事長に就任。阿片王の里見 甫と共に満州国を支える
闇の帝王となる。敗戦時に青酸カリにて自害。
■ 【新聞社の田舎芝居 】
ところで、全国紙が時の権力者の「提灯持ち」になること
は、ジャーナリズムの本筋から外れると考えるのだが、
当時の一端が本書に描かれている。それは、「憲兵隊と
新聞社が手を組んだ田舎芝居」と著者に言わしめている
仮出獄後の甘粕大尉との会見記である。(報知新聞、国
民新聞)著者は、隠された伏線も指摘している。
■ 【口開かぬ鬼籍前の人々 】
10日後の朝日新聞が実際の単独会見をスクープ。とこ
ろで、その後の朝日新聞と言えども、太平洋戦争中は、
「大本営」発表に従わざるを得なかったように、新聞社と
しての信念は時としては消えてしまい、単なる通信社の
姿に堕落した。真相を風化させ忘却させる歴史の残酷さ
と、鬼籍前の人々の隠蔽との戦いに臨んだ著者は、本
当に数多くの貴重な真相を引き出している。あたかも、
外套を太陽の暖かさで脱いでもらうように。脱帽。
綿密な調査による甘粕正彦像
(2008-07-17)
既に他のレビュアーによる詳細かつ的確なレビューがあって付け加えることは余りない。従来、余り知られていなかった満州国時代の甘粕正彦の姿を浮き彫りにし、また新しい証言を得て大杉殺害事件の真相が最後に語られる。大変な力作である。しかし、この長い評伝を読んでなにか違和感のようなものが残った。
それは(日本)帝国というものが国民とは別に存在するかのようにみる歴史観である。それによると何か猛々しい帝国の意思といったものがあって、甘粕はその犠牲者に矮小化されてしまうことになる。
著者はあとがきで、「この評伝を、大正、昭和という時代に翻弄されたひとりの人間の魂の成長の物語、いわばビルドウィングスロマン(教養小説)を構想しながら執筆した」といいながら、甘粕のことを「社会主義の洗礼を受けた大正デモクラシーの息吹とは無縁の軍人街道をまっしぐらに突っ走った」ともいう。社会主義思想の浸透、そしてロシア革命成功に対する時代の危機感は軍人に限らず、国民にかなり共有されていたのではないだろうか。
いつものことだけど、タイトルも含め実に佐野眞一らしい一冊。
(2008-06-28)
佐野眞一の評伝の特徴は、描こうとする人物が何をしたのかということに主題があるのではなく、彼(彼女)を突き動かしたものは何だったのか、といった事実の裏にある人間性そのものを描き出そうとする点にある。
そして、著者は膨大な資料と格闘し、多くの関係者への取材を試みる。そうやって書かれる評伝はどれも非常に読み応えがある。ただ、そうして描き出された人物像が悪く言えば著者の思い入れが強く反映されることに加え文章も濃い(悪く言えばくどい)ので、好き嫌いが分かれる作家なのだと思う。
この作品もそうだ。例えば、“甘粕は底光りする内面の闇によって周囲の人間を魅了しただけではなかった。甘粕はその闇から放つ強烈な磁力で彼らの魂まで吸い尽くし、彼らを生ける屍のようにしてこの世に残し、満州の消滅とともにひとり逝った男だった(p324)”というような文章が随所にあらわれる。
そして、この引用した文章にある「磁力(あるいは磁場)」という単語は彼の作品に頻繁に登場する言葉なのだが、この言葉が佐野眞一の作品を最もよく表している。彼の作品になじめない人には、これが、単なる著者の勝手に思い込みさらに言えばこじつけに感じられるのではないかと思う。
わたしは、ノンフィクション作家は歴史研究家でも学者でもなく、もちろん事実(資料との格闘・関係者への取材)の積み上げが前提にはなるが、評伝という作品形態においては、その対象とする人物を作者がどのように解釈(それがたとえどう読んでもそれは思い込みだろうと突っ込みをいれたくなっても)するかは作者の特権であり、読者はその解釈の正誤を判断する前にそれをひとまず受け入れた上で作品として優れているかを判断すべきと考えているので、彼の評伝は読んでハズレタと感じたことはない(ただし、東電OL〜に代表される彼のルポ物は別。磁力「磁場)にこだわる彼のルポ物は実に読むに耐えない)。
この一冊も実に佐野眞一らしい作品だ。ただ、甘粕のパーソナリティを知る上での重要なファクターではあるが大杉事件の真相が主題ではなく、あくまで佐野眞一が描く甘粕正彦像が主題なので、大杉事件や満州で甘粕がかかわったとされる謀略そのものに関心がある人にはあまりお勧めできない。
おすすめ度:
“満洲の夜”を支配する甘粕正彦の幻影。
“満洲の夜を支配する”と言われたという甘粕の実像を描いて、甘粕がやさしい人間性と
あえて言えばリベラルな人類愛の持ち主でもあったことを示している。
従来の「大杉事件」の鬼憲兵といった類のステレオタイプの甘粕像を持っていた
わたしは、彼がなぜ満洲に渡り満映の理事長になったのか、実に不可解であった。
軍人としての挫折、恐らく心ならずも負った罪はいかばかり彼の心を蝕んだことか。
帝国陸軍に限らず、軍隊は本来的に上官の命令は絶対であるから、自分の思いとの
乖離に悩む人は軍人には向かない。
軍隊とは非人間的な組織であるといわれる所以だ。
だからこそ、甘粕は軍人の腐敗や権力主義を超えて天皇至上主義に自らの救いと
絶対的な”よすが”を求めたのだろうか。
しかし「大杉事件」がなかったら、果たして甘粕は、そのまま憲兵隊にいただろうか?
甘粕の波乱の人生は、「大杉事件」に端を発し、それから逃れることが出来なかった
ことは間違いないが、彼の人生はそれによって開かれたのかもしれない。
さまよえる甘粕 分裂した魂の咆哮
筆者が「満州の夜と霧」と題した第2作にあたる。前作「阿片王」の続編として、里見甫と同様、「人工国家」満州国に暗躍した「主義者殺し」甘粕正彦の人間像に迫ったドキュメンタリーである。
前作は、後半に至るほどに脱線気味になり、里見に深く関わった女性の人間像を必要以上に掘り下げ過ぎている感があった。関係者の証言から、円の中心にいる里見の人間像を照射することが目的のはずが、最後まで里見に届かないため、読後に若干の不満が残ったものである。
本作では、関係者の証言は、甘粕という円の中心から離れずに、あくまで甘粕の人間像を浮かび上がらせる道具として登場する。しかも、数々の証言が、万華鏡を通したかのように、多彩かつ混沌とした甘粕像を覗かせている点で、証言による人物像の構築に成功しているといってよい。
関東大震災の混乱に乗じて、大杉栄と伊藤野枝を虐殺した「主義者殺し」であり、関東軍の庇護下で満州国の夜の帝王と称され、里見と比較して、さしずめ「謀略王」とでも呼べるのが、甘粕の一般的なイメージであるが、本作を読むと、そのイメージが皮相に過ぎないことがわかる。
甘粕は、大杉暗殺という軍の謀略の罪をかぶって収監されて以降、極度に自我を封印し、帝国の繁栄をよすがとして、ひたすらに自己犠牲の道を歩み始めている。おそらく落馬による怪我で、憲兵という軍人の傍流を歩まざるを得なかったとき既に、謹直さと破滅願望が同居するという、後の甘粕の性格の萌芽があったものと考えられる。ときに大酒を飲んで暴れ、ときに部下を激しく叱責し、またときにこれ以上ない哀惜の表情を浮かべて窓辺に佇む姿からは、孤独と劣等感に苛まれた甘粕の魂の悲痛な叫びが聞こえてきそうである。また彼が友人たちにあてた手紙には自己憐憫の言葉があふれており、甘粕の複雑な実相が垣間見える。
乱心の広野をさまよい続けた甘粕正彦という男。満州国の崩壊とともに「服毒」という方法で自決した彼が最後に見た心象風景は、果たしてどのようなものだったのだろうか。
「時代の犠牲者」というのは簡単であるし、また「運命は星ではなく自分自身にある」と達観するのも安直であろう。混沌に溶け込んだ甘粕正彦の生涯を、他の読者はどう見るだろうか。一読をお勧めする。
鬼籍前の人々の貴重な声を拾う。
■ 【甘粕大尉を巡る人々 】
著者は、社会主義者(大杉 栄)殺しで当時の、憲兵司令部
という官僚組織のスケープゴートになった甘粕正彦大尉
に関して、その人物像を関係する人物、文献、その他の
資料を国内のみならず、中国の関係各地をも訪ねて面
談して、本書を著している。
■ 【甘粕大尉の半生 】
甘粕大尉は、懲役10年の実刑判決を受け、千葉の刑務
所で服役。しかし、皇室の慶弔行事も重なり、わすか3年
弱で仮出獄をする。その後、結婚。フランスでの新婚滞
在から帰国。中国大陸に渡り、1932年の『満州国』建国
に尽力。東条英機関東軍参謀長らと親交、後、1939年
のノモンハンでの大敗北の為、関東軍の主要メンバー
は、帰国。甘粕大尉は、満洲に留まり、満鉄映画会社理
事長に就任。阿片王の里見 甫と共に満州国を支える
闇の帝王となる。敗戦時に青酸カリにて自害。
■ 【新聞社の田舎芝居 】
ところで、全国紙が時の権力者の「提灯持ち」になること
は、ジャーナリズムの本筋から外れると考えるのだが、
当時の一端が本書に描かれている。それは、「憲兵隊と
新聞社が手を組んだ田舎芝居」と著者に言わしめている
仮出獄後の甘粕大尉との会見記である。(報知新聞、国
民新聞)著者は、隠された伏線も指摘している。
■ 【口開かぬ鬼籍前の人々 】
10日後の朝日新聞が実際の単独会見をスクープ。とこ
ろで、その後の朝日新聞と言えども、太平洋戦争中は、
「大本営」発表に従わざるを得なかったように、新聞社と
しての信念は時としては消えてしまい、単なる通信社の
姿に堕落した。真相を風化させ忘却させる歴史の残酷さ
と、鬼籍前の人々の隠蔽との戦いに臨んだ著者は、本
当に数多くの貴重な真相を引き出している。あたかも、
外套を太陽の暖かさで脱いでもらうように。脱帽。
綿密な調査による甘粕正彦像
既に他のレビュアーによる詳細かつ的確なレビューがあって付け加えることは余りない。従来、余り知られていなかった満州国時代の甘粕正彦の姿を浮き彫りにし、また新しい証言を得て大杉殺害事件の真相が最後に語られる。大変な力作である。しかし、この長い評伝を読んでなにか違和感のようなものが残った。
それは(日本)帝国というものが国民とは別に存在するかのようにみる歴史観である。それによると何か猛々しい帝国の意思といったものがあって、甘粕はその犠牲者に矮小化されてしまうことになる。
著者はあとがきで、「この評伝を、大正、昭和という時代に翻弄されたひとりの人間の魂の成長の物語、いわばビルドウィングスロマン(教養小説)を構想しながら執筆した」といいながら、甘粕のことを「社会主義の洗礼を受けた大正デモクラシーの息吹とは無縁の軍人街道をまっしぐらに突っ走った」ともいう。社会主義思想の浸透、そしてロシア革命成功に対する時代の危機感は軍人に限らず、国民にかなり共有されていたのではないだろうか。
いつものことだけど、タイトルも含め実に佐野眞一らしい一冊。
佐野眞一の評伝の特徴は、描こうとする人物が何をしたのかということに主題があるのではなく、彼(彼女)を突き動かしたものは何だったのか、といった事実の裏にある人間性そのものを描き出そうとする点にある。
そして、著者は膨大な資料と格闘し、多くの関係者への取材を試みる。そうやって書かれる評伝はどれも非常に読み応えがある。ただ、そうして描き出された人物像が悪く言えば著者の思い入れが強く反映されることに加え文章も濃い(悪く言えばくどい)ので、好き嫌いが分かれる作家なのだと思う。
この作品もそうだ。例えば、“甘粕は底光りする内面の闇によって周囲の人間を魅了しただけではなかった。甘粕はその闇から放つ強烈な磁力で彼らの魂まで吸い尽くし、彼らを生ける屍のようにしてこの世に残し、満州の消滅とともにひとり逝った男だった(p324)”というような文章が随所にあらわれる。
そして、この引用した文章にある「磁力(あるいは磁場)」という単語は彼の作品に頻繁に登場する言葉なのだが、この言葉が佐野眞一の作品を最もよく表している。彼の作品になじめない人には、これが、単なる著者の勝手に思い込みさらに言えばこじつけに感じられるのではないかと思う。
わたしは、ノンフィクション作家は歴史研究家でも学者でもなく、もちろん事実(資料との格闘・関係者への取材)の積み上げが前提にはなるが、評伝という作品形態においては、その対象とする人物を作者がどのように解釈(それがたとえどう読んでもそれは思い込みだろうと突っ込みをいれたくなっても)するかは作者の特権であり、読者はその解釈の正誤を判断する前にそれをひとまず受け入れた上で作品として優れているかを判断すべきと考えているので、彼の評伝は読んでハズレタと感じたことはない(ただし、東電OL〜に代表される彼のルポ物は別。磁力「磁場)にこだわる彼のルポ物は実に読むに耐えない)。
この一冊も実に佐野眞一らしい作品だ。ただ、甘粕のパーソナリティを知る上での重要なファクターではあるが大杉事件の真相が主題ではなく、あくまで佐野眞一が描く甘粕正彦像が主題なので、大杉事件や満州で甘粕がかかわったとされる謀略そのものに関心がある人にはあまりお勧めできない。

