佐藤浩市関連グッズ特集

アイテム詳細

イッセー尾形
ロバート・ドーソン
桃井かおり
佐野史郎
田村泰二郎
ゲオルギイ・ピツケラウリ
アレクサンドル・ソクーロフ
ユーリ・アラボフ

クロックワークス

グループ:DVD

ランキング:7005

価格:¥ 3,964

発売日:2007-03-23

通常24時間以内に発送

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http://clubks.com/ksamazon/asin/DVD/B000MEXANI/

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レビュー(Amazon.co.jp)

ヒトラーやレーニンも自作の題材にしたアレクサンドル・ソクーロフ監督が、昭和天皇を主人公に、終戦の年、8月15日の前後を描く。空襲から逃れるため、地下室で生活する天皇(=ヒロヒト)が終戦を決意する苦悩に焦点を当てながらも、ヘイケガニの研究に安らぎを求め、訪れる米軍兵士に「チャップリンに似ている」と言われて喜ぶ姿など、人間としての天皇を映像化。日本人にとって興味深い仕上がりだ。
イッセー尾形は、口をもごもごさせる仕草など、本人の癖を巧みに採り入れつつ、人間味溢れるヒロヒトを好演。侍従らとのやりとりでは笑いも誘う。ソクーロフ監督はセピア調の映像で当時の雰囲気をかもし出し、夢の場面で魚が爆弾を落とすなどシュールな描写も挿入。外国人が描いた日本にしては違和感が少ない。天皇の描写を含め、さまざまな意味で問題を投げかける作品ではあるが、人間になることを許されなかったひとりの運命として観ると、これほどインパクトの強いドラマも少ないだろう。多くの葛藤はラストで、皇后役、桃井かおりの一瞬の表情に凝縮されるのだ。(斉藤博昭)

カスタマーレビュー

天皇裕仁の愛すべき人間像を表現している秀作  (2008-05-06)
昭和20年8月15日、神から人間に降下した唯一の日本人。天皇裕仁像とは、戦中の「大元帥」としての地位と、戦後の戦争責任の訴追免除とが、どうしても納得いかない国民感情がある中で、この映画は、その不連続面を、しっかりと繋げてくれるもの。
軍服で身を包み、白馬に跨り閲兵をする大元帥は、天皇の職務としての一面であり、御前会議に対する憤懣などを見るにつけ、昭和天皇御自身は、戦前戦後を通じて、大きく豹変したわけでもなく、極めて人間的であり、ユーモアもストレスもあり、愛すべき人間像として描かれている。
政治的な意味での「人間宣言」とは違った意味で、実生活での「天皇の人間らしさ」を表現したもので、日本国民にとっては、はじめて、天皇というものを身近に感じられた作品であった。
 この作品は、上映中止にはならなかったが、現今の、偏狭なナショナリズムが勢いづく状況にあって、果たしてクレームがつかなかったか心配ではある。それほど時代は逆行しているといえる。心ある人々は、戦いの覚悟と準備を怠るな。

太陽は何を照らすのか  (2008-04-06)
戦争の最中、国家元首は何を想い何を決断するのか?
終戦を決意し、その身を敵に差し出すときに何を思うのか、
そんな心情をイッセー尾形はタブーを破って演じきったと
思いました。

この作品で歴史の史実や解釈を問うのはナンセンスです。
これは、ヒロヒトという国家元首が戦争の果てに国家の敗北を
決断し、その身を敵にさらけだしたときの人間ドラマです。
自分の決断がときには人の死を招く。背負い切れないほどの
多くの期待と数え切れないほどの沢山の命を課せられて、
自分のすべきことを決断していく。

滑稽に見える風貌やしぐさに隠された心情表現がたまらなく
切なく、静かな緊迫感が映画全体を支配しています。

私は、あのときヒロヒトが机に隠した彫像が誰なのか
今も気になって仕方がないのです。

今ひとたびの僥倖  (2008-02-28)
この作品では、戦後に制定された「日本国憲法」に規定された「象徴天皇」をまさしく先取りしているような、「主体」を生まれながらにして剥奪されているとも言える存在として描かれているように思う。
「皇国史観」という虚構によって、「現人神」― そこには自らのレゾン・デートル(=存在理由)を「神格」でしか引き受けることのできなかった悲(喜)劇的な人間像が浮かび上がる。
象徴としての 「愚者」― つまり、真の賢者とは、まさしく幼子のように無垢であるということ・・・であろうか ― とさえ思ってしまうほどである。
そのイノセントとも言える苦悩 ― これは、もしかすると純粋無垢でアルカイックな苦悩 ― キリスト者、特にパウロの説く「原罪」の苦悩に通ずるかもしれない。
中空 ― 「うつろ」なることを日本的な「帝王学」として身に着けてきた稀有なる存在。それは、ユーモラスで愛らしく、美しくさえある。

劇中で最も印象深かったのは、米国からやってきた従軍カメラマンたちの前で、自らをあたかも喜劇王チャップリン に真似て演じてみせるかのような仕草をするシーンである。
それを傍観する侍従の苦渋の眼差し。そして、車で走り去るカメラマンたちから投げかけられる「サンキュー、チャーリー」「またな、チャーリー」という言葉が投げかけられる。
常識的に受け止めれば、この状況はあきらかに屈辱的である。
しかし、彼にはいささかの恥じらいも屈折もない。ただ幼子のような無邪気さだけがある。

作者ソクーロフは、学生時代に歴史学を学んだ。その上でさらに日本文化の深層を直覚的に掴んでいる。その深い透徹した歴史認識から、この「美しい」寓話(おとぎ話)のような「物語」をつむいだ。
これは日本人には絶対に作り得ない、むしろ、ロシア人であるからこそ作り得た芸術作品である。それは、政治的な意味というよりも、ロシア文化の深層にある、言わば、神秘主義的とも言える感性から立ち上ってくる表現ではなかろうか。
久々に深みのある味わい深い映画を堪能した。

これはあくまで  (2008-02-27)
これはあくまで、アレクサンドル・ソクーロフと云う映画監督が描き出した映像作品。
『作品』である以上、それが“ルポルタージュ”であれ“ノンフィクション”と謳われているモノであれ、誰かしらの主観を通したフィクションにしかなり得ない。

ですから、右でも左でもない(どちらか?と問われれば右足に重心はありますが)私はこの作品をひとつの『映像作品』としか観ていません。
俳優たちが演じる、作品の中の人物たちの心の動きを追い、映像を眺め、何かを感じる。
コレが事実だとか、そーでないとか、そんな事はドーでもいい…ドーでもいいと云うと御幣があるか。それはその時、その場に居て、その空気を呼吸していたそれぞれの人間にしか判らない。もっと云えば、そのそれぞれの人間にも判るまい。

私にはこの作品を観て、その映像に、演技に浸った時間がとても有意義な時間に感じられた。
それで充分、この作品は私にとってはいい作品だったと云えるのだ。

舞台を見ているような作品  (2008-02-03)
本作はいわゆる「戦争もの」ではない。昭和天皇の心の葛藤を終戦直前から直後まで追った作品である。ポール・シュレーダーの迷作「MISHIMA」を観た時と同じような余韻が残った。イッセー尾形の演技はすばらしいが、全体的にいまひとつしっくりこないのだ。「MISHIMA」でも緒方拳は非の打ちどころがなかったが、やはりヘンテコな出来だったのと重なる。ニューヨークのブロードウェイで演劇として出したら、けっこうヒットするかもしれない。場面転換も含めて、全てが舞台的なのだ。戦争を止められない自分にいらだつシーンは、天皇メモなる所在も明らかなので、事実なのかもしれない。しかし真実はどうなのか。映画という自由な発想ができる場所なのだから、そこは真実の仮説でも語らせてほしかった。抑揚のない歴史を淡々と語るだけでは映画とはいえない。戦時中でさえ「独裁者」や「陸軍」など映像で真実に迫ろうとした先達がいるのに。題材はいいのに、惜しい一作である。

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