アイテム詳細
紀伊國屋書店
グループ:DVD
ランキング:41159
価格:¥ 5,040
発売日:2003-09-20
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レビュー(Amazon.co.jp)
???現代に生きる映画監督が、あるとき自分が19世紀のエルミタージュにいることに気づいた。しかし、彼の姿は誰にも見えていないようだ。やがて彼は、不思議な時間旅行を味わっていく……。
???ロシアの名匠アレクサンドル・ソクーロフ監督が、世界の宝物たるエルミタージュ美術館の中に入りこみ、ハイビジョンキャメラを用いて、撮影は1日、すなわち本番1回、何と90分1カットで撮り上げた壮大なるアートフィルム。画面の外からの声を監督自身が担当し、彼と劇中のフランス外交官キュスティーヌ(セルゲイ・ドレイデン)との会話によってロシアの近世近代の歴史300年がひも解かれていく。圧巻なのはクライマックスの舞踏会で、流麗に動き回るカメラワークも功を奏し、幻想的なまでに美しい映像が展開されていく。まるで夢か幻かといった魅惑の90分。一度体験してみて損はない。(的田也寸志)
カスタマーレビュー ![]()
custineが主人公
(2007-05-12)
なんとも不覚でした。custineが映画の主人公になっていたなんて。ちょうど偶然でcustineのletters from russiaを読んでいたところですので、期待を持ってみてみました。結果は降参。難しくて皆さんと同じように何度か頭が垂れ下がり、そのたびに巻き戻してみることの繰り返しでした。たしかにcustineを語り手の一人として選んだアイディアには脱帽です。しかしロシア語をしゃべるcustineではどう考えても矛盾ではないでしょうか。またcustine自身の発言も映画の構成上、時代を超えて動き回るためでしょうか、限りなく示唆的なままです。たしかにcustineの作品からの引用は映画の中でもいくつかなされていますが、あまり現実のcustineやその作品と関係付けないほうがいいのかもしれません。また映画は相当程度ロシアの歴史に精通していないといったい何がテーマでありどのように時代が変わりつつあるのかが最後までわかりません。いやはや、なんという映画なんでしょうか。
「へえー」しかなかった冬宮
(2007-01-25)
ソクーロフ監督のみならずロシア人のエルミタージュに対する思い入れ、誇り、自慢だけが元でできた映画。ロシア文学並に冗長でストーリーにも意味はありません。同類の映画がオーストリアのシエーンブルク宮殿で撮影されたワルツものにあります。ただの観光客の一人として「へえー」で歩き回っていた日本人としては、あまり思い入れだけで話を作られてもノリノリという気分にはなりません。「装飾」をはじめて取り入れたキンキラキンのエルミタージュ好きな方はどうぞ。でも、ハイビジョンカメラならやっぱりNHKでしょう。
美に酔う or 眠っちゃう映画
(2005-08-18)
「エルミタージュ幻想」。この魅力的なテーマだけ聞いて、映画館に足を運んだ方は多いことと思います。私もそのひとり。宮殿のドアーが開き、華麗な装飾と名画の数々に目を奪われーーーているうちに館内のひとの頭が順々に下がってくる(眠っている)というフシギな映画。最後の大舞踏会でゲルギエフがタクトを振るまでの時間が長かったこと!。そして最後の不吉な闇。ロシア文学や芸術が大好きな方にはきっと最高の映画、つい足を運んでしまったひとには辛い映画、楽しめる人、楽しめない人が半々の作品ではないかと思います。
ロシア的世界
(2005-05-05)
主人公(フランス人外交官となっているが、貴族的で知的ながら常軌を逸したきわめてロシア的な人物)がとても魅力的。ウィーン会議に出席していたといい、作曲家のマイヤベアーが友人で若造のワグナーなんか知らないとうそぶく。その主人公とソクーロフとの会話が全体を貫いている。そのロシア語も美しい。彼は油彩画の額やワニスの臭いを嗅いで、絵を「もの」扱いするかと思えば、エル・グレコの絵の前では跪く。絵のモチーフの象徴的意味なんかには目もくれず、素直に絵を見ている若者を、君は描かれた聖人のことを知っているのか、何も知らないではないかと脅すと思えば、レンブラントの絵の前では、歳老いたバレリーナとゆっくりと踊り、絵と対話する。芸術を「もの」として扱うとともに、そこに神を見るヨーロッパ芸術の根幹が現れている。最後は舞踏会が終わって皆が三々五々階段をゆっくり下りながら帰っていくところを10数分間映すのみ。なかにはプーシキンも居て、皆死者である。しかし皆永遠に生きているというのが、最後のメッセージ。舞踏会での舞曲も最後に流れる室内楽もグリンカで、ノスタルジックでロマンティク。死と生が渾然一体となった、また神と現実が接しているとでも言える極めてロシア的な作品です。ワンカットの映画技術的な意味は、映画史の専門家が話題にされるでしょうが些細なことです。ただ全体の緊張感に貢献しているのだとは思います。
賭けは為された
(2005-03-15)
亡霊は冬宮へと導く。凍てつく戸外から入り込んだそこは、あちこちで時間が停滞していた。これは幻だろうか。ひとは一度ならず呟いてみるだろう。そして自分にこう言い聞かせる。すぐに覚める夢ならば暫しそのままでいてみようと。回廊を、階段を、劇場を、大広間を、歩き、登り、踊り、唄い、喋り、笑い、亡霊に案内されるがままにあちこち連れ回されるのだ。その至福。その快感。めくるめく眩暈のような体験。それはさながらマズルカの輪舞のようだ。歓喜するきらびやかな人々。もうここには存在しない人々。彼ら彼女らと共にゆっくりと出口へ向うなかで、わたしたちはこの夢も終わりが近いことを悟るのだ。そして再び戸外。夢の果て寝覚めの間際にたどり着いたそこは暗く冷たいネヴァ河なのだろうか。

