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角川グループパブリッシング
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価格:¥ 672
発売日:2008-07-26
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カスタマーレビュー ![]()
ガンダムの世界観を借りた、不条理な世界をどう生きるかのメッセージ
(2008-09-12)
以下の文中の言葉を鑑みると、米国主導の人のエゴが中心となった新自由主義(理想を失った民主主義)の世界で人がどう生きて行くべきか、ガンダムの世界観を通じて若い世代にメッセージを伝えようという福井さんの意思を強く感じました。
戦争での理不尽な死を自ら招いてしまうバナージ。(恐らくは)更なる悲劇へと導かれる栗毛の強化人間マリーダ・クルス。願わくば、本シリーズを読み終えた時、彼らがそして若い世代の読者が良心に沿って正しく生きる意味を知悉し、強く正しく生きる勇気を持てる小説であって欲しいと切に願います。
〜以下、文中より抜粋〜
「必要ならば自分達の手で政治家を操ればよいと考えて恥じない。これが絶対民主主義における政治の実相」
「発達した文明が人の寿命を延ばし、増えた人口を養う経済原理が資源を食いつぶして行った時、加速度的に滅びの道をたどり始めた旧世紀の地球。文明をダウンサイジングするか、外に活路を見出すかという二者択一において、人類は後者を選び取った」
「(心は)自分で自分を決められるたった一つの部品だ」
「優先順位に従って義務をこなすことしか知らなかった体が、縁もゆかりもない若い命に後事を預け、未来などという茫洋とした言葉に一抹の意義を見出している。そんな愚かしい錯覚を真に受けた心が、いまはひどくいとおしい。」
「去って行った妻を呼び止める言葉も持てなかった自分だが、子を儲けていれば別の展開もあったかもしれない。もう一つの可能性、あるべき未来、内なる神の目で未来を見据える、ということ。」
激しさを増していく戦況
(2008-08-26)
戦いの鍵となる少年と少女、そしてガンダムを奪い合うために失われつづける多くの命。大切な人を失った悲しみ、そして奪った者への憎しみが互いに交錯し激しさを増していく戦況。未だ明かされない箱の真相をもとめて物語は少しづつ佳境に向かう。もう1台のRXー0や新たな敵の出現にも期待して6巻を待ちたい。
大人の事情
(2008-08-06)
ガンダムは一環してスペースノイドvsアースノイドの物語であるが、
これが革新派vs保守派であり、ジオンvs連邦であり、エゥーゴvsティターンズであり、
オールドタイプvsニュータイプの構図であった。その中に子供vs大人の構図も
常に存在し、ニュータイプは常に子供である。
この表現は間違っているわけではもちろんないし、子供向けロボットアニメであれば、
子供達の共感を得るため、やむをえない。
そんなガンダムシリーズにあって本作は大人のためのガンダムである。
主人公、バナージ・リンクスこそ子供だが、その周りを固める大人たちが魅力的だ。
今までのガンダムのように、ただ古い考えを持った保守派の大人として描かれているのではなく、
それぞれに事情があり、立場があり、秩序を守ろうとする大人。
このスタンスでガンダムを描くことが、これほど面白く感じるとは思わなかった。
ガンダムは成長する。
我々ガンダムを見て育った世代とともに。
蛇足ではあるが、いっそのこと主人公も30歳過ぎて急に覚醒した悩めるニュータイプにしてもおもしろかったかも知れない。
胸が躍らない読者は少ないだろう
(2008-08-06)
著者と同い年、所謂ガンダム世代の私にとって
トミノ監督の手によらないにもかかわらず
ひさびさに「正統な」作品を読んでいる気がした。
(挿絵の効果も大きいとは思われるが、
その点からすると四巻から部数が伸びないような気も・・・)
ファーストから30年近い年月が経過し
直木賞候補作家が作品を手掛けるまでの成長を
当時、誰が予想し得ただろうか?
本巻は第五巻。ニュータイプというある種
「選ばれた人間の特権的な悩み」ではなく
組織の中で歯車として疲弊しながら
それでも道理を貫こうとする大人の描き方に
骨太で、大人が読むに耐えるSFを感じさせる。
本歌取りではあるが、
それでも圧倒的な筆力で展開される物語に
胸が躍らない読者は少ないだろう。
大人たちの現実と戦い
(2008-08-02)
先日東京に出張があり、ついでに神田と浜松町の書店を回ったのだが、本書がコミックやライトノベルの棚ではなく、きちんと文芸コーナーに並べてあるのを見て(かつ、書店の店員さんの手書きによる推薦までついている)嬉しくなってしまった。さすがに東京の大書店は違う。
これが私の地元茨城の書店だと、少数の例外を除いてコミックやラノベ扱いされてしまうのだ。福井氏ほどの実績ある文芸作家に対してあまりにも無礼な扱いではなかろうか。(まあ、いかにもアニメっぽい安い装丁も良くないのだが・・・)
5巻に入り、いつもの福井節による”中年の大人達”の描写が更に冴えわたってきた。脇役として描かれる分、仙石曹長や並河警部補のような存在感には正直まだ至っていないが、マックール中佐、オットー・ミタス艦長、レイアム副長、ジンネマン船長など、きちんと重ねてきた年齢を感じさせる大人たちの苦衷と行動は、”子供”しか登場せず(これはキャラクターの年齢のみを指さず、描かれるキャラクターの”薄っぺらさ”、製作者の”幼さ””オタクっぽさ”をもって、”子供”という意味である)、またその”子供”の事情で世界が動いてしまう”オタク向けガンダム”にうんざりさせられてきた身は嬉しい限りである。
1.2巻のレビューの際に、私は本作を「普通の現実を描ける正統派ガンダム」と評したが、福井氏の諸作品はその点で既に冨野氏を超えていると私は感じている。
冨野監督は、シャアのように、大人になりきれない、大人になりそこなった”こどもおとな”の”痛さ”を描く点では卓絶した力を持っているが、反面”よくも悪くも年齢を重ね、どんな形であれ一本筋の通った大人”を描くのは、決して得意ではない。ファーストガンダムでこういうキャラクターを描き出していたのは、冨野監督ではなく安彦良和氏の力である。(連邦軍参謀本部のゴップ大将やレビル大将などは、安彦氏の”大人を描く力”の好例であろう。冨野監督はこういう人物が描けない)
だから、安彦氏が演出から抜けたZ以降、冨野ガンダムに出てくる大人は、どこか”変”である。アムロとシャアは最後まで”おとな”になれていない。最後のVに至っては、どこかが”狂った”大人しか登場せず、幼い少年少女にかろうじて希望を託す内容になっている。
これは大人になりきれない”こども大人”が多くなってしまった現代の現実の”痛い”一面ではあるのだが、一方でVガンダム以降の冨野監督が自己反省をしたように、過剰に”大人への絶望と無垢な少年少女に希望を求める”点で、危険な描き方でもあった。(現代の現実への絶望が、極端な現実否定行動への理論武装になる点で=オウム事件等)
一方、福井氏は処女作「川の深さ」の桃山警備員以来、常に青少年と中年おじさんのコンビを登場させており(ワンパターンではあるが)、どこかダサい、しかし最後には一本筋を通せる中年オヤジを見事に描く点で定評がある。また、主人公の青少年達の行動のみで、問題を解決させておらず、必ず現実の組織内の大人達の、ささやかな行動の積み重ねで、”ちょっとだけ”現実が前進する、または可能性だけが残るというスタンスを貫いており、決して”少年少女”の言動のみによって事態が解決する形にはしていない。
本作でもバナージ・リンクスの周りには、スタンスは様々であるけれども、それぞれに少年に生き方を、可能性を伝えられる大人達を配しており、彼らと少年との会話が各章の見せ場になっている。
その意味では、本作に必ずしもモビルスーツといったギミックは必要でなく、基本的に人間と人間の物語である。しかし、冨野監督の小説”ベルトーチカ・チルドレン”が映画化に際して、”モビルスーツ否定である”としてスポンサー側から却下されたように、ガンダムは不幸にして”本来語りたい本質”からは、常に歪められた発信を強いられてきた。
ガンダム・ユニコーンが文芸として成功することで、それらに対する強力な一石となることを願ってやまない。
いずれにせよ、福井氏が執筆に先立って語っていた”可能性”は、物語の折り返し地点に至り、少しずつ姿を見せ始めている。
ガンダムを小説という形で発表した意味。
ガンダムを文芸という舞台に持ち込んだ理由。
福井氏は、それを”多くの人がガンダムという作品が獲得した普遍性に気付いていない”という表現で発信した。
”精巧なガンプラ””オタクっぽいミリタリー用語、世界観””華麗な戦闘アニメーション””萌える美少年美少女”・・・etc。様々な形で発信され継続してきた”ガンダム”に対して、福井氏は本質的に異なる、しかし、”本来のガンダムの可能性”を見せようとしている。

