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朝日新聞社
グループ:Book
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価格:¥ 735
発売日:2006-10
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カスタマーレビュー ![]()
姜尚中の著書をすべて読むとわかる。
(2007-10-16)
この人、姜尚中は日本人の愛国心を語ることが多いですが、
彼の本心は「日本の植民地化」「日本の衰退」を望んでいるのであります。
彼の脳味噌は日本人の仮面をかぶった在日韓国人であり、反日韓国人であります。
「TVに多く出ているから信頼できる」と語った自分の親友がいましたが、
TV(特に某赤日TV)に多く出ているから、信頼できないのです。
本当に信頼できる人は、TVなどの利害関係から排除されてしまった人です。
姜尚中はNYTの大西記者や米下院のホンダと同じでしょう。
愛国心とは?
(2007-08-15)
愛国心とは何か。
国を愛することとは何か。
ってことを考えるキッカケにはいい本かもしれません。
若干むずいけど。賛否両論がある本書だけれども。
ただ、石橋湛山って斬新な人だったんだなと実感。
一例で全体を語る論理の妖しさ
(2007-07-27)
テレビで見かける姜尚中のキャラクターそのままに、「愛し方」などの情緒的な言葉で持論を訴える。
在日という出自から、日本という国を愛せず、しかし在日を棄民扱いしている韓国にもパトリア(故郷)はないが、故郷の熊本は愛せるという矛盾した心境の吐露は興味深かった。
だが、そこから出発したはずの「愛国心(ナショナリズム)ではなく愛郷心」という論理が、「第二次大戦の敗戦」という一例の全体化に過ぎず、当時あったポジティブな感情を洗いざらい否定するという、「自傷」であり、左翼的なマンネリ論理に過ぎない。
郷土愛→アジア愛→世界愛は肯定しながら、日本国にだけ照準を合わせない、もしくは否定的になるという論理で全体が構成されている。
さらに、不自然なまでに軍事力の存在が語られないが、「力」を前提とした外交なくして、「リアリティある外交」など有り得ないのは自明だ。それは、戦後日本にアメリカの軍事力が存在し続けた事でも分かるだろう。
無論、郷土(パトリア)は知覚できるが、国家(ネーション・ステート)は知覚できず、「国民」は、統治者の「教育」で人工的に生まれるというのは妥当だが、それは愛郷心の時代と、メディア伝達能力の広さが違うだけの事だろう。
つまり現代では、国家単位の共同体が自然で、それを「愛する」のも、やはり自然で、将来、地球規模の共同体が誕生するとしても、それは各国の延長線上になるのではないか?
それを無理に愛郷の範囲に留めるなら、メディアを退化させるしかなかろう。「愛国」に、愛郷のような「身体感覚」が生まれるまで待ち、漸進的な進歩を目指すなら、それは保守主義に吸収されると思う。
結局のところ、「民主主義の問題点は、民衆の望む事が、民衆の望む結果を生まない事だ」という言葉があったように思うが、その事を自覚する方が、特例を持って愛国心を否定するより先決だと思う。
こまごまとした批判を書くと、靖国関連で、「戦死者に、殺した人の数を書け」などと言うなら、姜氏が今の地位になるまで、国家のレールに乗って幾人を押しのけ、人生を転落させ、今も右派論客を「できる事なら自らの論理で社会的に排除したい」と思っているか、自覚したらいい。誰もが「武器無き戦争」を既に行っている。
人は人を押しのけて生きるしかない。その宿命を嫌悪する余り、自らは競争をしていない(武器を持っていない)と考えて美化し、自らの醜さを他者に押し付けるのは、果たして大人と言えるだろうか?
そして、自民党の新憲法草案での「政教分離」の扱いが、慣習的な物なら何でも出来るよう、退化したと訴えているが、間違えている。
キリスト教国家でも、政治が積極的に宗教に関わる「アクション」の否定で、現憲法で考えられている「完全な政教分離」は誤訳。
日本国憲法の「英語の原文」の時点で、「action」の否定であり、慣習としての「behavior」は否定していないので、それを明確にしただけ。
第二十条も憲法改正論議の対象
(2007-04-25)
「愛国心とは何か?」を非常に上手く分析しており、解りやすく書かれていると思います。ただ、冒頭から、E・フロムの文章が引用されるなど、哲学的な用語も多く、読み慣れない人にはとっつき難いかもしれません。
論旨の流れは、「愛する」ということは?、「国家」とは?、日本の「国格」とは?「愛国」の作法とは?というふうになっており、一つ一つを突き詰めてから、次のステップへ進んで行きます。
その中では、靖国問題も論じられており、「美しい国へ」への反論も述べられています。
要は、「愛郷心」の同心円上に「愛国心」は無く、同じ土壌で考えるべきものではないし、余りに情緒的になってはいけないということでしょう。
と同時に、「国」を愛する時の「国」とは何かということで、それは目指すべき理想の「国」であり、そこへ向かうための「愛国心」であると語っています。従って、そこには「忠誠」もあれば「反発」もありうるのだと言っています。
日本では、70年安保を境として、政治を語る時代が終わり、無関心の時代に入っており、それは靖国論議や「愛国心」論議と重なってきているとしています。
この本の中で、あっと気づかされたことは、憲法改正論議は、第九条に限定されたものでないのだということでした。第二十条の「信教の自由」も大きな論点となっていることです。
私自身も70年を境にして、考えることを止めてしまった世代に属しており、改めて、真剣に考えるべき問題だということを認識しなおしました。
著者は本当に国を愛しているのか?
(2007-03-13)
筆者の言うことには、賛成できる部分もほどほどにはあるのだが、何か違和感が残る部分も多々ある。
筆者は、「作為」と「自然」を強引に切り離し、分けて論じているが、その分離そのものが極めて恣意的だといわざるを得ないし、その差異自体も恣意的に決められている。
しかも、強引に分離したとしても、そこからその2つが結びついてはいけないとは必然的に導かれているとは言いがたい。
それに、愛国心が「作為」であって「自然」に芽生えないのなら、なおさら教育によって愛国心を教えないといけないという結論が導かれると思うのだが。
また、靖国にページを割く一方、北朝鮮など、明らかに愛国心が問われそうな問題にはほとんど触れないのも、都合の悪いものをあらかじめ避けて通る欺瞞さが見える。
何でもかんでも戦前に結び付けて論じたがるのも、極論を持ち出して全体を否定しようとする論法で、感情をあおっているといわれても仕方がないだろう。
最後に、「国を愛しているからこそ、今の国家に反対する」という立ち位置があることには激しく同意するが、この指摘からは、「国を愛しておらず、今の国家に反対している」ただの反政府左翼の存在を隠しているきらいがある。
そういう点から、一度読んでみてもいいだろうが、あまり本書を高くは評価できない。

