ギャガ・コミュニケーションズ
グループ:DVD
ランキング:2184
価格:¥ 1,995
発売日:2007-11-02
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レビュー(Amazon.co.jp)
???モロッコで生活のために山羊を襲うジャッカルを撃つために銃を渡された兄弟。彼らはその腕を競い合うように発砲。その銃弾はツアーバスの女性客の体を撃ち抜いた。女性はモロッコに旅行に来ていたアメリカ人夫婦の妻。夫は家に残した子供たちの面倒をみている乳母に電話をするが、乳母は突然の出来事に驚き悩む。息子の結婚式に出席したい彼女は、やむを得ず、夫婦の子供たちをメキシコに連れていくことにした。一方、日本では、母親を泣くしたショックから立ち直れない聾唖の女子高生が愛を求めて町をさまよっていた。自分は誰にも愛されないのか、誰も抱きしめてくれないのかと心の中で叫んでいた…。
???一発の銃弾が、モロッコ、メキシコ、日本を撃ち抜く。お互い見知らぬ関係なのに、その銃弾は彼らの人生に次々と暗い影を落とす。人生は突然、思いがけない事態に陥り、人々は悩み、苦しみ、ときには地獄を見る。しかし、そこから何かが生まれることもあるのだ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトウ監督は『アモーレス・ペロス』のときから、人生のどん底をこれでもかと見せつけるが、決して登場人物を見放すことはない。必ずや長く暗いトンネルの向こうに細く差し込む光を描くのだ。モロッコ編で夫婦を演じるのはブラット・ピットとケイト・ブランシェット。メキシコ編で乳母を演じるのは『アモーレス・ペロス』にも出演していたアドリアナ・バラッザ。その甥をガエル・ガルシア・ベルナルが演じている。そして日本編は、女子高生役に菊地凛子、父親は役所広司。ブラッドはどうしようもない現実に苛立ち、苦悩しながらも、妻や家族への愛を確信する中年の男を力強く演じきり、菊地が演じる少女の孤独は痛々しく胸に突き刺さる。彼女の悲しみと怒りを讃えた瞳は見るものをとらえて離さないだろう。(斎藤 香)
カスタマーレビュー ![]()
私の143分を返してください。
(2008-12-03)
詳細は、他の星1のレビューと同感です。
意味が無く、人を不愉快にさせる映像のオンパレード。
見終わって残るのは、不快感ばかり。
こんな映画でヌードになっちゃった菊地凛子が哀れです。
神の目を借りる二時間半
(2008-11-27)
無力ゆえにもどかしく
知ってしまえばおそろしく
たまらなくせつない。
それはきっと、 起きる全てのことが あまりにも普通だから・・・。
自分が住んでいるごく普通の世界が、いかに強烈な、しかしごく自然な感情に囚われているか。
自分であり家族であり友人であり他人である 人間というものの限界。
見ていて全くフィクションという気がしなかった。
2時間半の間、 観客は神の目線を借りることになる。
現実世界では、我々が目にするのはせいぜい日本のテレビでの報道の一部、ぐらいであって、
これだけの事実を全て目撃することはあり得ない。
神が見ていたなら愚かだと感じるのかもしれないが、
私は生まれた時から人間で、これから死ぬまで人間だから、
誰のことも責められないし、ただただやるせなかった。
真実を見ずにものを述べることは危険。それはわかる。
しかし真実は、人間にはどうあがいても見えないものなんじゃないかと
ほんの束の間、下界を見下ろしながら思った。
見ずして、知らずして、それでも尚おもんばかる気持ちというのを持てるかどうか。
持ちたいかどうか。
そして、なぜ。
この映画は人間の心まで神にはしてくれない。
そして、彼らの「その後」を見ることも我々にはできない。
想像の余地を残したところも実に巧みで気に入った。
このストーリーを「バベル」と名付けたのは素晴らしい。
神に分かたれたものは言葉だけではないことを誰もがつきつけられるだろう。
同じ東京にいて同じ日本語を話していたって、本当に通じ合えてますか、と。
この映画を見なかったことにして生きていくのが
いちばん簡単かもしれない。
わかり合えるという幻想−希望はあるか
(2008-11-08)
終始,目を背むけたくなる。全体的に重い空気と後味の悪さが漂う。
人は,いつしかわかり合えるという希望を微かに抱いているのではないか。少なくとも,そうあって欲しいと。しかし,神の怒りに触れた我々は,この永遠に続く苦難をこれからも味わい続ける。この映画で最も訴えたかったであろう絶望感はよく表現され,高く評価されるべきだろう。
言語だけではない。たとえ同じ国家,同じ民族,同じ地方,同じ言語,同じ宗教であったとしても,育った環境によって,感じ方,思想,行動はそれぞれ異なる。我々は,我々の無理解を理解すべきなのだ。唯一の希望はここだけだ。果たして,我々はいつしかその深淵を乗り越えられるのだろうか。
ただし,映画としての完成度としては,苦言を呈さざるを得ない。アメリカ,メキシコ,モロッコ,日本が繋がっている必然性はない。また,多くの方が指摘しているように,日本の描かれ方が粗雑であるし,エピソードとして無駄が多いように思う。監督の日本に対する一方的な理解や思い入れが映画の完成度を阻害しているように思えてならない。
耐え切れない孤独、そして怒り
(2008-10-29)
モロッコの田舎から始まった物語は、銃を手に入れた貧しい一家の幼い兄弟、そして彼らが放った一発の弾丸によって重傷を負ったアメリカ人旅行者とその夫、彼らの子供をアメリカで世話するメキシコ人家政婦、そしてその銃の元の持ち主の日本人そしてその娘へと繋がっていく。
その中でさまざまな問題が浮き上がってくる。
貧しさの中で無知故にはからずもアメリカ人に怪我をさせてしまった少年の狭い世界の中での行き場の無いいらだち。
子供をなくしてからその傷がいえない妻。その事をあえて触れない夫に対する憤り、とそんな妻に対しどうしていいのかわからずいらだつ夫。
息子の結婚式でありながら、主人であるアメリカ人が旅にでてしまい、代わりの乳母がみつからず、結婚式に出席できないかもしれないという憤り。
そして、聴覚障害者で誰にも心を開けず、すべてに憤りを感じる娘とその娘にいらだちを感じる父親
すべての者がいらだった生活を送っている。言葉があっても心が通じない。そして言葉が通じても心が通じずに悲劇を呼んでいく。
唯一言葉を音で理解できない女子高生は、自分のコンプレックスからか快楽的な生活をおくり、その悲しさを性的な欲望で満たそうとする。
菊池凛子の不気味な悲しさは秀逸。
物言わぬ娘は文字で心を伝えるが、その文字は観客にはわからない。その演出は上手い。
そして乾いた土地(メキシコ、モロッコ)は乾いた心を感じさせる。
そして光あふれる日本の街風景はその光ゆえ悲しさを増幅させる。
ラストに関しては賛否両論あると思うが、モロッコ人編、メキシコ人編のやりきれない現実に比べ、アメリカ編には不満である。
日本編はおそらくあれしかラストがなかったのかもしれない。街の光に希望を見出すのか、都会の孤独を感じるのかは観客次第であろう。
イニャリトゥはイラナイチュ
(2008-10-22)
ブラビが出ているので、見たけど何これ?
でこのラスト何これ?
役者の個性も何も無い。
2時間30分の時間の無駄。




