白水社
グループ:Book
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この世ではないのでは
(2007-05-22)
私が20歳のころ、図書館で「何と言うか」というベケットの作品(詩?)を読んだことがありました。出版社は確か書肆山田だったと思われるけど、よく覚えていません。その中では、同じ言葉が肯定されたり否定されたりするのです。一言で言ってしまえば「逡巡」。その逡巡こそ、その頃の私の頭の中でした。なにしろ、どんなことでも否定されうるので、しまいには何も言えなくなってしまう。言ってしまったらお終いというような感じ。ヴィトゲンシュタインの「沈黙」でした。
この作品でも、ベケットはとにかく肯定を否定し、否定を肯定し直し、肯定し直したのを否定し直しています。しかも切迫しています。たとえば199Pから200P。
「なぜこんなにしゃべらなければならないのか、なぜこんなにやめたいのか、なぜこんなにやめられないのか、その理由が見つかり、見つからなくなり、また見つかり、また見つからなくなり、捜すのをやめ、なおも捜し、なおも見つかり、見つからなくなり、捜すのをやめ、なおも捜し、なにも見つからず、やっと見つかり、見つからなくなり(中略)、なおも捜し、なんだかわからず、なんのことやら、なにを捜しているのかを捜し、そうさ、と叫んだり、違うよ、と溜息をついたり、もうたくさん、とうめいたり・・・」
この、プラスマイナスの両方に揺れ動き畳み掛ける言語のおびただしさ。もし「何と言うか」と同じ頃にこれを見つけていたら、もろに心に食いついて、一生忘れられない経験になったような気がします。「意識の流れ」と言えるだろうけど、ベケットは、多分師匠ジェイムズ・ジョイスを飛び越しています。フォークナーとは別のやり方で。
それにしても、「何と言うか」はベケット晩年期だったと思われるので、この人は生涯こんな感じだったのでしょうか。何だか悲痛です。「終わりが来なくちゃいけない、終わりが来ても、やっとのことで終わりが来ても、ひょっとして前と同じことかもしれない・・・」(169P)そして終局では、「彼の番だぜ(中略)彼は沈黙からできている(中略)おれは彼になるだろう・・・」。
混沌へむかって
(2002-01-12)
小説を書くこと。登場人物に名前をつけ、ひとつの世界や人間関係を提示してみせること。読者が小説の世界に容易に没入できるよう、細かい事象を積み重ね、リアリティのある物語を語ってみせること。小説の完成がそのような「名づける」行為にむかっているとすれば、この「名づけえぬもの」はまったく相反するアンチ小説に他ならない。
主人公は名前すら自分でわからない。誰でもありうるし誰でもありえないと自分で言う。同時に、記憶することができないので、まとまったエピソードを語ることもできない。それでもしゃべり続けることくらいはできる。自分が話しているのか、それとも言葉が勝手に流出するのか、どちらでもいいが、しゃべることができそうなので、しゃべっている。でも、その言葉を自分でつくりだしたのか、それがどこかからやってきたものなのか定かではない。そんなおしゃべりが全編にわたって、延々と続く。
むろん、読者はこの語り手がどのような人物なのか想像することもできる。ベケット本人だと思うこともできるし、精神病棟に幽閉された患者だとの解釈も可能だ。しかし、そのような「名づけること」をベケットは見事に回避し、読者を落ち着かせるような失敗はおかさない。物語も、登場人物もイメージとして定着することはご法度だ。
その結果、小説を書く行為に関する、すさまじいまでの思考という運動の軌跡がここに残っている。これが有用なものか、無用のものか、まだわからない。だが、小説を書くプロセスを遡行して、原初的な発話行為の混沌自体に戻ろうとする不可能な試みをベケットがやってのけたことだけ確かだ。ベケットの到達地点ともいえる記念碑的作品。




