早川書房
グループ:Book
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価格:¥ 651
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発売日:2001-05
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レビュー(Amazon.co.jp)
ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフは幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には社会主義国家となった母国を捨てて西側に亡命している。生い立ちがヨーロッパ現代史そのものを体現している女性である。彼女の処女小説である本作品も、ひとまずは東欧の現代史に照らして読めるが、全体のテイストは歴史小説というよりはむしろエンターテインメント性の強い「寓話」に近い。
そもそもこの小説には人名や地名はおろか、固有名詞はいっさい登場しない。語り手は双子の兄弟「ぼくら」である。戦禍を逃れ、祖母に預けられた「ぼくら」は、孤立無援の状況の中で、生き抜くための術を一から習得し、独学で教育を身につけ、そして目に映った事実のみを「日記」に記していく。彼等の壮絶なサバイバル日記がこの小説なのである。肉親の死に直面しても動じることなく、時には殺人をも犯すこの兄弟はまさに怪物であるが、少年から「少年らしさ」の一切を削ぎ落とすことで、作者は極めて純度の高い人間性のエッセンスを抽出することに成功している。彼らの目を通して、余計な情報を極力排し、朴訥(ぼくとつ)な言葉で書かれた描写は、戦争のもたらす狂気の本質を強く露呈する。
凝りに凝ったスタイル、それでいて読みやすく、先の見えない展開、さらに奥底にはヨーロッパの歴史の重みをうかがわせる、と実に多彩な悦びを与えてくれる作品である。続編の『証拠』『第三の嘘』も本作に劣らない傑作である。(三木秀則)
カスタマーレビュー ![]()
癖の強い、しかし魅力的な主人公達
(2008-08-31)
激しい戦争の下、小さな町に住むおばあちゃんの家に疎開することになった双子。
その日から2人は、過酷な生活を強いられることになる。
恐らくは小学生程のこの少年たちに、暴力、差別、貧困、性行為、非情な現実は容赦なく迫ってくる。
そんな状況下で、したたかに生き抜いていく彼らの姿は最強にクールだ。
生きる為に「労働」をする。
「勉強」をする。
「練習」をする。
「遊び」はしない。
大人相手にも一端に交渉すると思えば、必要とあらば悪事にも手を染める。
拷問も、威圧も、誘惑も時に利用はすれど決して屈さず、誰の「言いなり」になることもない。
彼らは真っ当から状況を見据え、自分たち自身の考えの下で判断、そして行動する。
無感情ではない、しかし年の割には過ぎるほどに客観的な視点を持って。
「―ぼくたちは理解したいんです」
作者自身の故郷の動乱を元にして書かれた小説で、レトリックの無い淡々とした文体にも関わらず、リアリティ溢れる内容になっている。
善悪の価値観や倫理について考えてしまう、…にも拘らずどこか爽快感を随所に感じる、そんな不思議な本だった。
MOTHER3の主人公のモデルとなったのが、この双子ということも一部で有名。
ただ、印象は全く違うけれども(笑)
意地悪なおばあさんと双子は、でこぼこの様で意外と名タッグ。
読解力を試される傑作
(2008-08-14)
第二次世界大戦のさなか、都市から田舎の小村に疎開した双子の男の子が、祖母である老婆と暮らすことになる。そして老婆と子供の心の交流が始まる、などというありがちな展開は全くなく、双子は性悪の老婆に奴隷のようにこき使われ、村人達からも冷たい扱いを受ける。生き延びるために強くなることを強いられる生活の中で、二人は自分たちに起きたことをノートにつづることにした。そのノートがこの本である、という設定になっています。
文章をつづる際、双子は自分たちに一つのルールを課します。それは、主観や感情を排して事実のみを記載すること。だから、この本の中で人々の思いは一切説明されません。なぜ彼らはそんな行動をとったのか、なにが起きたのか、どう思ったのか、それは書かれている事実をもとに、読み手が想像していくしかありません。読解力を試される小説です。ある人にとってはただのエログロ、ある人にとっては痛切な反戦の書と、読者の感性によっても印象が違うと思います。
簡潔な文章なのに、いや簡潔だからこそ、想像力が刺激され情景が強烈にイメージされる。魔力のような文章に圧倒されました。
本書には続編の「ふたりの証拠」と「第三の嘘」があり、それらを読むと違う世界が現れてくる仕掛けになっています。そちらはそちらでお勧めなのですが、この1冊だけ独立した小説として心の中に取っておきたいとも思ってしまいます。あえて続編を読まないという手も・・・などと言ったら作者のファンに叱られそうですが。
ラストの衝撃がいつまでも胸に残りました。
自分物語化という生き方
(2008-06-12)
双子が、戦時下のハンガリー国境近くの片田舎で、ドイツによる占領・ドイツの撤退・ロシアの占領という過酷な日々を生き抜く話。
話の中では具体的な国名や地域名は出さず、寓意的に描かれている。子供らしくない“言い回し”が時おり使われているものの、基本的に、子供の語りで物語は進められる。複雑な事象が、簡潔な言葉で表現されており、とても分かりやすく書かれている。
この書き方や構成は、ルナールの「にんじん」を思わせる。
「にんじん」よりも、「悪童日記」の方が、環境がより悲惨であるにも係わらず、「にんじん」よりも読んで救いを感じさせるのは、主人公の双子が「にんじん」の主人公と違って、周りの大人たちにそれなりに認められ、一目置かれている存在として描かれているからだと思う。
それに、乗り越えるべきテーマを自分たちに課し、日々を「冒険」として生きている。
自分達の物語を二人で作り上げる事で、過酷な日常生活を乗り切っていくという術を、双子は編み出したのである。自分たちは、物語の登場人物であるのだから、どんなことでも耐えられる。
目の前で起こる事柄に、悩んだり、苦しんだり、怖がったりはしない。何故なら、自分達のキャラを、そう設定したから――それが、彼らの人生の乗り切り方。
要するに、「自分イデオロギー」と「自分ルール」を生きるのである。
イデオロギーに踊らされて、民族浄化や戦争までしてしまう大人たちに比べて、彼らは、賢いのかもしれない。しかし、自分イデオロギーを生きるというのも、健全とは言い切れない。 その行き過ぎで、時には「殺人」という行動もとってしまうのは、大人たちと変わりが無い。イデオロギーや、主義の行き着く先に、時としてなぜ「殺人」という行き過ぎの事態が起こってしまうのか――というドストエフスキーの「悪霊」のテーマは、永遠らしい。
……などと、考えさせられるテーマが、つらっと寓話調に平易な文章で描かれている。とても奥深い話。
生き抜くことの凄みに圧倒されました。
(2008-05-24)
簡潔かつ感情を排した独特の文体により人々の心の内側はその行動からしかうかがい知ることはできませんが、大きな時代の激流の中でむき出しにされる人間の本性、ショッキングな出来事にたいしする主人公の双子の悲しみ、怒り、優しさが心の奥に響いてくるようです。
双子は、歴史の激流に飲み込まれることなく正義を貫く反面、目的の為なら人を欺き暴力も辞さない。これらを全て純粋さ故と片付けられる訳ではないでしょうし手放しで誉められたものでもないとは思います。でも、それが生き抜くという事なのだと納得させられてしまいました。
これほど、衝撃的なエピソードが次々起こるのにそれ以上の衝撃的な結末ってなんなんだろうと思いながら読み進めましたが、突然やって来る結末にまんまとしてやられました。。なるほど物語にのめり込んでいればいるほど、この結末には、世界が生まれかわるような衝撃を受けました。
そして、物語は次作へと続いて行くわけですが、「二人の証拠」、「第三の嘘」を読み終えた後で、やはりもう一度この「悪童日記」を開いて激動の時代を生き抜いた双子の物語を締めくくりたくなります。
悪童日記は良心か?
(2008-05-08)
「ぼくら」が行う悪事の数々を日記形式で、超短編仕様で書かれた小説。「ぼくら」が淡々と行う悪事ではあるが、実は、時代背景、と著者の出身のハンガリーでの動乱時期を考えて、読むと、「ぼくら」の悪事が、少々やり過ぎの嫌いはあるものの、人間の良心・正義を感じてしまう。読み始めは、余り感銘を受けなかったが、読了すると、この小説の言いたいことが伝わってくる。著者の母国語でない、フランス語で書かれたことが、文学的な装飾や情景描写が少ないものとなり、かえって、シンプルな形式の小説になったようだ。小説の中では、場所を特定する地名は一切記述がなく、「大きな町」から「小さな町」に疎開し、双子の「ぼくら」が、お婆さん(母親の母)に預けられるという設定。また、このお婆さんが、悪童に匹敵す悪婆ではあるが、「ぼくら」とおばあさんとのやりとりもなかなかのものである。
解説によると、「大きな町」はハンガリーの首都ブタペスト、「小さな町」のモデルはオーストリア国境に近いクーセグという田舎町。第二次世界大戦が時代背景で、ハンガリーは、ハンガリー政府の同意なしのドイツ軍の圧力で、ソ連に宣戦布告(1940年6月27日)したが、1942年以降は、戦線から離脱するために連合国軍との単独和平を望んだ、かえって、ドイツ軍の国土占領を招き(1944年3月19日)、傀儡政権を押し付けられた。
ここで登場する将校は、ドイツ人で、従卒は同盟軍のオーストリア人。解放後は、ドイツ軍に替って、ソ連軍が駐留することになる。(解説から)
「私はね、窓から何もかも見たのだよ。あの一切れのパン……。しかし、懲罰は神だけの権限なのだ。おまえたちに、神の代理を務める資格はない」
ぼくらは黙っている。彼が問う。
「おまえたちに祝福を授けてもいいかね?」
「それでお気が済むなら、どうぞ」
司祭は、ぼくらの頭の上に手を載せる。(本文から)




