中央公論社
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カスタマーレビュー ![]()
酒肴に
(2008-06-05)
この本はおもしろい。味があります。なんど読んでも味がある
するめのような本です。
名文を読むこと、達意(相手に伝わる文)ということ、そして
書くに値するものを持つこと・・・などが、豊富な引用文とともに
解説されていて、考えさせられます。
わたしは絵が好きなので特に、イメージと論理の章が興味深かった。
イメージ(描写文)は上手に使うと強い印象を与えるが、下手に使うと
曖昧な意味になってしまい、文章が論理的に成立しにくいという解説です。
それでは、描写文でなく小説の挿絵でも、文章を補う力になれるのが
挿絵として上手い絵であり、文意に添う何かを伝えることが著者の言葉を
換言するなら、描くに値すること、なのかなと思いました。
なんども読み返したい本です。
谷崎のは基本書、本書は判例集
(2007-11-24)
谷崎の「文章読本」と本書の違いを法律書に例えるなら、谷崎のは基本書、本書は判例集といったところか。
谷崎の著作にも良い文例は出ているが、量としては格段に本書の方が多い。ぼんやりしていると、どこまでが解説なのか引用なのかわからなくなる。
また、本書が書かれた時代の気分も味わえて面白かった。恐らく戦後少し経ってからだと思うが、明治憲法・現行憲法を批判する部分(特に明治憲法)は迫力があった。言葉の力を政治に利用した端的な例として私の記憶にいつまでも残るだろう。
バイブル
(2007-02-10)
「あの文章読本」と言われるほど有名な本。この一冊を読んで文章がいくらか上手くなる、という種類の本ではないが、バイブルのように金言に満ちた本。
基本的には勉強法の本。役立つテクニックも載っているが、あくまでも文章とはどういう物でどう付き合っていくべきかを教えた本だと思う。学び方を知らずに学ぼうとすることの怖さを、知っている人が読めば良い。将棋でも定石を覚え始めると一時的に弱くなると言われるが、似た傾向はこの本にもあるのではないか。
結局は「名文をたくさん読みなさい」という教えに帰結するのだが、手本として引用されている名文の技には舌を巻くばかり。そういう文章を真似るところから修行は始まるのだ、と先生は言う。個性とかオリジナルなんてものは、模倣を続けた後に自然と出来上がるものなのだ、と。
そうした名文を横において解説されていく文章論。名文からこうやって学んでいくのだよ、と先生は学び方の手本を見せ、名文から文章の基本を指南する。その教えを疑う人は丸谷才一のエッセイを先に読んでも良い。この人が稀代の名文家であることはすぐに分かるだろうし、こんなに面白いエッセイがあったのかと喜んでもらえると思う。
ただし、著者のポリシーを貫いて歴史的仮名遣いになっている。「かうもり」をコウモリと読める人ならまず問題ない。表記法が古いだけで、文章は新聞記事よりも平易だ。手本として引かれた名文の中には古文もあるが、古典の名文とつながりを持てるのはこの本の売りでもある。
文章と論理性の明確な定義
(2007-01-05)
著者は先達の谷崎潤一郎に対して意地が悪い。谷崎が『文章読本』において「用語について」を述べた下りを引用して、「昔から使ひ馴れた古語を選ぶこと」にいちゃもんを付ける。古語の正統的な定義、専門家の間ではたぶん中世以前のものを指すのだろうか、を振りかざして、谷崎の指すのは江戸後期以降の町人文化の言葉を指すと指摘する。
谷崎の『文章読本』を普通に読めば、明治期以降に入った新規な語彙以外を「古語」と指していることは誰でも分かるのに、なぜかこの文豪の言葉の趣味を、丸谷はねちっこく谷崎のマザーコンプレックスに結びつけようと努力しているように思える。
とは言うものの、この本の功績は文章と論理性の関連を明確に定義したということで、実際に金字塔であり、後世に読み継がれるべき本と思う。本文ではかなり論理性に乏しいところが散見されるにしても。
やや強引な持論が見受けられる
(2004-07-03)
確かに丸谷氏の文章論は括目すべき点が多い。
しかし、その氏ですら素人目にも明らかに誤っていると思われる箇所が存在する。特に、谷崎潤一郎がその著書『文章読本』で触れた、文法に対する意識について取り上げた一節がおかしい。
この中で、丸谷氏は「谷崎潤一郎が文法にこだわるなというのは、実のところ英文法にこだわるなという意味であり、国文法を指したものではない。これはテニスの初心者に水泳のつもりで手足を動かしてはならない、と教えるようなものではないか」と批判を展開している。
この批判は正しくない。なぜなら、そもそも明治以後の国文法というものが欧米の言語学、文法運用理論の触発を受けて成立したものだから、どうしたって欧米風の厳密な法則に基づいた文法体系として成立せざるを得なかった。それからすれば、国文法と英文法が極めて類似した厳密性をはらんでいるのは当然のことであり、谷崎が国文法と英文法を同義として取り扱ったのもまたごく当然の話ではないか。
要するに谷崎は、
「今日の国文法というものが従来の日本語の性格を無視し、欧米の文法と同じく曖昧性を一掃したものである以上、伝統的な和文脈を書こうとする際に差障りとなる、だから文法にとらわれず書け」と言いたかっただけの事である。
この谷崎の真意はその『文章読本』で、昨今はとにかく文法的に正確を期し、論理的な運びを重んじるあまりに和文本来の味わいが損なわれている、と苦言を呈しているあたりからも容易に推察されるはずである。
大文豪たるもの、まさか単純に英文直訳風の日本語を書くな、といった次元の低い論理を振りかざすはずはなかろう、と考えるのが普通だと思うのであるが。
とはいえ、最初に触れたように谷崎に劣らぬ文章論を披露していることもまた事実である。何だかんだいっても、やはり一読に値する一冊といえよう。




