新潮社
グループ:Book
ランキング:29303
価格:¥ 860
発売日:1978-07
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カスタマーレビュー ![]()
あまりにも読み込みが足りない自分に反省
(2008-10-13)
ついに読了。平成20年10月12日。やっとエベレストに登頂した気分。しかしながら、しがないサラリーマン生活の中で少しずつ読み進める作品ではありません。それこそ時間が有余っている学生諸君。2日くらい徹夜して一気に読み進めることをオススメする。なぜならその読み方こそ、本作品を余すことなく堪能できるからだ。切れ切れの読み方であると、全体像が掴みにくい。様々な呼び名で呼ばれる登場人物の区別が付きにくく、難解な本書は体力に任せて一気にいくべきである。明日明日40の身では体力が付いて行かない。しかし、再読しないと収まらない。内容については、再読後レビューします。(涙)
どん底の絶望から見える希望
(2008-09-23)
三度目の正直で世界最高峰と呼ばれるヤマ?の登頂に成功しました(笑)
上巻で幾度も無理なのか?と挫折しそうになりましたが中巻のあの事件以降、俄然読むペースが速くなり下巻はあっという間に読み終わりました。
下巻の裁判シーンの描写が圧倒的な迫力です。読んでいるというより体感しているようでした。
ロシアの文豪の傑作というといかにも難解極まりない印象ですが、個人的には昼ドラのドロドロ愛憎劇風なところも感じられ面白かったです。
三兄弟のキャラも興味深い。野獣(笑)の長男、ツンデレ(笑)の次男、美男子で人間とは思えぬ(笑)出来過ぎの三男。野獣は石井慧(笑)ツンデレは福山雅治、三男はあまりにも浮世離れしてるのでCGって感じでそれぞれイメージキャラクターを思い浮かべながら読みました(笑)
上巻を読破出来れば、かなりの確率で下巻の最終頁に辿り着けると思います。酔狂にもこの小説を読破しよう!と思っている方、今読めなくても読みたいという意思を持ち続ける限りいつか読破出来る日は来ます!私でも読破出来たのですから。
最後にこちらにレビューを寄せた皆様に感謝。挫けそうな時に励みになりました。
キリストの似姿としての、アリョーシャと「周さん」
(2008-06-17)
ドスト氏は、期待していた。アリョーシャがキリストの似姿として読者に読まれることを。私のおぼろな記憶が確かならば、物語の最後のほうで、アリョーシャが子供たちに囲まれて、何か語る場面があったはずだ。その囲んでいる子供の数は、確か、11、2人だったはずである。11、2人。イエスの弟子はイスカリオテのユダを除けば、11人、入れれば12人だ。確か、これを最後にアリョーシャの姿は、物語から消えてしまう。
太宰は、期待していた。「周さん」がキリストの似姿として、読者に読まれることを。「惜別」において、「周さん」は物語の最後のほうで、帰国して、民衆の精神を改革するため文芸運動を起こす決意を語り手に述べ、これを最後に「周さん」の姿は物語から消えてしまう。アリョーシャと「周さん」、両者は、何事かをなす前に読者を置き去りにして消えてしまうのである。「惜別」には、「周さん」が創作したとされる、難破した水夫の話が登場する。この話を井上ひさし氏は、『人間合格』において芥川「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタの生前の行為とほとんど同じ話としてとらえている、と私は見る。つまり、どんな罪人でも、一生に一度は、よい行いをする、人間もすてたもんじゃない、そんな風にとらえているらしい。この読みが確かならば、「カラマーゾフの兄弟」が、太宰の「周さん」創造に影響を与えた、と読めそうである。確か、芥川「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの行為は、「カラマーゾフの兄弟」中の挿話「一本の葱」に想を得たものではなかったか。とすれば、太宰の難破した水夫の話も「一本の葱」の影響を受けたもの、と言えそうである。さらに太宰の随筆に難破した水夫の話を含んだ「一つの約束」という作品があり、「一本の葱」との語呂の響きの類似から見ても、太宰が「カラマーゾフの兄弟」を意識しながら、「周さん」を創造した可能性はある、と私は思う(詳述は避けるが、水夫の話は「惜別」のミニチュアであるからだ)。
悪魔との対話が象徴的な下巻。裁判のパートで作品のクライマックスへ
(2008-05-05)
下巻は大きく3つのパートからなっている。
まず二等大尉の子供で、死の床についているイリューシャと、以前仲たがいしていたコーリャとの心温まる友情の物語。コーリャのきわめて実用的なものの考え方とは見解を違えるものの、コーリャの行いを暖かくみまもるアリョーシャ。このアリョーシャと子供たちの話は、エピローグでもでてくるが、思想の派閥を超越した、わかりやすく純粋な、人間が決して忘れてはならないものを端的に説明している。それは「神とは何か」という議論に熱中するあまり、基本的な人間の幸せの源流をわれわれに改めて気づかせてくれるものだ。
そして2つめのパートは、次男のイワンの精神崩壊だ。カラマーゾフの兄弟全体で、正直、このイワンの幻想かつ自分自身を象徴したこの登場人物との会話が、もっとも難解だった。もう一度じっくりと読んでみたい部分ではあるが、中巻の大審問官の話がキリストとの対話であるのに対し、この部分は、悪魔との対話を表しているような気がするが、両方とも核となるメッセージは同じなのではないだろうか。
最後のパートが、裁判の成り行きで、ここは、じっくりと検事と弁護士との演説を味わいたいところだ。
私の感想
(2008-04-10)
「ここに全てが描かれている…」
誰から聞いたんだっけな。
確か19歳の時だった。本屋でふと手に取ったのだけど、当時の僕はテンポの良さを求めており、どっぷり文学にはまる準備はできていなかったように思う。小説といえば現代ものばかりで、それよりもむしろ社会学や心理学、教育学、言語学、歴史学、音楽などの論文・研究書の方が僕の心のカタルシスを溶くのに最適だった。読み始めようとはしたものの、数ページで手放し、以来6年間、部屋の本棚に眠ることとなった。
しかし、今ようやく読み終えた。この書に全てが描かれているのは明白すぎるほど明白だ。ドストエフスキーの思想の集大成とよく言われるが、まさにその通りで非常に総体的な、つまり僕にとっては「リベラルアーツのまとめ」であろうと思う。見所は、大審問官、ゾシマ長老の説教、裁判弁論などなど多々挙げられるが、何よりもこの作品とチャイコフスキーの「交響曲第6番 悲愴」との奇妙な一致に昂揚せざるをえない。「カラマーゾフの兄弟」も「悲愴」も世界的名作で思想的頂点に立つ作品の一つだし、どちらも「あらゆる全て」が描かれていると言える。そして両方とも作者の死の直前に書き上げられたものであった。
畢竟するに、記号論的には「カラマーゾフの兄弟」は「悲愴」であり、また「悲愴」は「カラマーゾフの兄弟」と何ら違わない。・・・文章か音楽かの違いだけなのである。この読後感は他に比肩が無い。ぜひあらゆる人に読んでもらいたい一冊。
「何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!…」(アリョーシャの言葉より)




