講談社
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世間は何かは人それぞれ
(2008-06-25)
社会と世間との違いはわかったが、現代一般に使われている世間の解体はされずに終わってしまった。
「世間」は空気のように見えない、感じない
(2008-05-18)
*****
阿部謹也氏が亡くなった。享年71歳。
ドイツ中世史を専門とする阿部謹也は『ハーメルンの笛吹き男』で知られるが、
彼の名前が広く一般に知られるようになったのは『世間とは何か』が上梓
されたのちだろう。彼の「世間論」をアカデミズムは無視した。自身が「世間」
の住人である学者たちにとって阿部の指摘する「世間」は空気のようなものなの
で対象化できなかったせいだ。阿部を支持したのは、この日本社会が妙に生き
にくいと感じていた一般読者だった。
喫茶店で携帯電話を取り出し、大声でしゃべっている中年男性がいた。
高価そうなスーツ姿、滑舌の良い声で完璧な敬語を使っている。どこから見ても
経験豊富で有能な営業マンにしか見えない。取引先らしき相手への丁寧な対応は
模範になるようなものだった。しかし、すぐ周りにいる人間へのこの男の配慮は
ゼロであった。この極端な落差はいったいどこからくるのか。電話の向こうの相手
には常識をわきまえた適切な対応ができるのに、すぐ隣にいる人間への配慮が
どうして欠如してしまうのか。
この日本社会がなにやら生きにくい、周りの人間の言動が理解しがたいと普段から
感じることの多い人にとって『世間とは何か』『日本社会で生きるということ』は
必読書である。
我々が生きる日本社会の特質
(2007-09-09)
本書は、ドイツ中世史を専門とする著者が、
「世間」という日本社会に連綿と息づく社会的特質を
様々な文献を手がかりとして描き出したものである。
既にレビューも数多く、書くべきところは殆ど無い。
よって、ここでは重複を避けるため私的感想のみを述べるに留まろう。
蛇足と理解しつつ、本レビューを読んで頂きたい。
思春期を迎え青年期に入るなり、若干の海外生活の経験がある私(ごとき)は、
日本で暮らす事にある「生き辛さ」を感じてしまった。
「自分が正しいと思う道を突き進め」などと、
「個人」を尊重した価値規範を基にのたまわれる口当たり美味な少年時代の教えは
現代日本社会においてはある種弊害となる。
実際には、正しいと思った事をこの場所で突き通すには覚悟と根性と才能が必要である。
何故必要なのか? 何故突き通せないのか?
その答えが「世間」という日本社会構造の存在とその作用である。
詳しくは本書にて。
注記しておくが、
私はこの「世間」にある「生き辛さ」を感じてしまったが
著者も指摘するように、「世間」は「安心」も与えてくれる。
少年時代に教授された個人主義を典とする甘美な思想に酔いしれ、
青年時代の「生き辛さ」の大海においても二日酔い状態だった私だが、
成年時代の今では酔いも醒め、その「安心」の大海の漣に片足の踝程まで浸している。
盛年の盛りを取り戻すべく、今また酒を手に取りチビチビと盛っている(実際には下戸だが)。
世間の謎
(2007-04-11)
多くの実例を元に日本に残る「世間」というものを解きあかした名著。
ある意味それは空気といってもいいかもしれない。
いまだに日本人の間に残っている「空気を読め」という言葉などもそうだ。
少なくとも日本人にはシロクロをはっきりつけるという意識は学者でもいまだに存在しない。
罪をおかしていなくても疑われた場合世間を騒がせて申訳ないと謝罪しなければならない。
特に後半の漱石を中心に分析した項は日本人がいまだに近代を迎えていないと痛感させられる。
日本の自称近代人や自称西洋学者たちが見てみぬ振りをしようとしたものをまざまざと見せ付けてくれる。
世間を騒がせたことをお詫びしたい、という言葉は翻訳不能
(2006-10-21)
つい先月、著者の阿部氏の訃報を聞き、
あらためて手にとってみた。
著者の阿部氏はドイツ中世史の専門家で、
出世作の「ハーメルンの笛吹き男」では、グリム童話を手がかりに
中世を生きた民衆の社会的環境、とくに職業や身分による階層社会、
差別の問題を浮き彫りにした。
本書はその日本史版といってもよいだろう。
万葉集、徒然草、歎異抄、西鶴、漱石と各時代の物語を紐解きつつ、
日本人にとって「世間」がどのような存在であったかを考えていく。
日本における「世間」の特異性は例えば、
・世間を騒がせたことをお詫びしたい、という言葉は
英語やドイツ語に翻訳することができない。
・宝くじにあたると日本では世間をはばかって隠したりするが、
アメリカでは新聞に堂々と顔写真がでる。
などに現れているという。
世間は顔見知りの人と人との具体的なつながりであり、
世間体は個人の自由や利害に優先する。
そして万葉の昔から今にいたるまで、
世間は暗黙のうちに日本人の行動を規定している。
このことはすなわち、日本に「個人」が長く存在しなかったこと、
そしていまだに日本には「個人」が存在しないことを意味している。
この本のいちばん凄いところは、
この事実=日本には個人が存在しないことを発見した点であろう。
なにしろ、あたっている文献の量が半端ではない。
阿部氏にとって日本史は専門外ながら、
本物の学者が本気で取り組んだテーマであることがわかる。
文献考察が主で、論旨展開に特別な起伏もなく、
読み方によっては退屈かもしれないが、
内容はけっして凡百の日本文化論ではない。
例えば忠臣蔵の精神は四書五経の中には見つからなかったが、
阿部氏が指摘した「世間」の中にはそれがありそうだ。
「世間」は日本人の伝統的精神構造を読み解くための、
ひとつの大きな鍵なのである。
誰にでも薦められる本ではないが、名著であることは間違いない。




