朝日新聞社
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強度を
(2006-09-24)
保つために、女子高生のようにまったりと生きろ、という宮台の主張のうちの一冊。
中でも興味深かったのは、好きなもの同士で、好きな時間に、好きな教師に、好きな科目を、学習する、というスタイルを学校でとったならば、いじめはなくなった、というデータ。一概には言えないだろうが、興味深い。学校化した社会の中で、「自己決定能力」というものを養わなければどうしようもない、ということ。中身を変えれば、教師に「生徒のサインをひとつ残らず見逃すな」と超人的能力を要求することのなくなる、という。
彼の主張するとおり、「ゆとり教育」というものが導入されて、学校自由化が推進している。が、学力調査で日本の順位が落ちている、と騒ぐ識者がいる。ゆとり教育で授業時間が減ったんだから、学力が下がるのはあたりまえなのに、それで下がっていて騒ぐ、というのは、なんのためのゆとり教育なのか一度考えてもらいたい。
まぼろしの郊外とは。
(2006-03-02)
成熟し複雑化した近代社会では、何が良いことで何が悪いことかは自明のことではなくなる。そのような社会においては、一概に「売春」や「援助交際」を「悪い」ということはできない。
そもそも日本には、一神教的な神は存在しない。だから神に対する「罪の意識」はありえない。だが、その信念を保障してくれるような「内的確かさ」もありえない。要するに、日本社会は「倫理」なき社会だ。
日本では、伝統的に「倫理」に変わって「道徳」が社会を律してきた。「道徳」とは、同じ共同体に属する人々の視線に規律されることだ。しかし共同体が、郊外化=「団地化」、「コンビニ化」を通じて解体した。第一段階の郊外化である「団地化」は、“地域共同体の崩壊”と“家族への内閉化”をもたらし、第二段階の郊外化である「コンビニ化」は、“家族共同体の崩壊”と“第四空間化”をもたらした。
これにより日本社会においては、「道徳」は意味をなさなくなった。前提となる共同体が解体したからだ。日本の「道徳」とは、「郷に入りては郷に従え」的である。そして、これは「旅の恥はかき捨て」と表裏一体。すなわち共同体が解体して、そのまなざしがないところでは、「何でもできてしてしまう」。
そして若者たちは、地域共同体から「第四空間」である街に流れ出した。
この背景には、「学校化」という重要な問題もある。以前は家・学校・地元にはそれぞれの評価基準があった。しかし評価基準の均質化が始まり、学校の優等生・劣等性は、家や地域でも優等生・劣等性としてしか見てもらえなくなる状況がでてきた。「学校化」により、空間的には、家も地域社会も学校的なものの「出店」になり、時間的には、教室にいる時間だけでなく全生活を覆うようになった。
そのような学校的なイメージから解放され、閉塞感を打破するためには、街に出て行くしかなくなってしまう。街は「風景」としての他人ばかりで共同体のまなざしのない場所であるから、若者は何でもできてしまう。
そしてこれが、テレクラ、ブルセラ、デートクラブ、そして援助交際へとつながる素地を作りあげた。「倫理」や「道徳」が存在しないので、体を売ろうが何をしようが恥ずかしくなくなった少女たちが現れてきたのだ。
そして少女たちは、そのなかで「まったり」と過ごし、輝かしくない「終わりなき日常」に適応し生活している。
それなりにインフォマティブですが、語り口が。。。
(2003-08-10)
この著者については、もちろん、名前やお顔はよくお見かけしていたのですが、著作に目を通したのは初めてです。
明晰な頭脳で知られる著者だけあって、独自のフィールドワークの部分や、切れ味鋭い現状分析の部分については興味深く読ませていただきましたが、具体的な改善案を提案する部分を読んでいるときには、頭の中で警報機が鳴りっぱなしでした。その理由は、著者独特の語り口にあるように思います。
たとえば、著者は「システムの問題と個人の実存の問題を区別しなければならない」と言っていますが、何がシステムの問題で何が個人の実存の問題かは、理論だけで自動的に決まるものではなく、何らかの価値観に基づく社会的選択の問題ではないでしょうか。
著者は、少女の売春などをシステムの問題とし、オウム事件のような「終わりなき日常」に耐えられない人々の犯罪を個人の実存の問題とみなしているようですが、なぜその逆(あるいは、どちらもシステム・実存の問題)でないのか、ということは、それほど自明なことではないはずです。
そもそも、分析や批判は論理だけでもできるかもしれませんが、なんらかの価値観に基づかない改「善」案などというものは、それこそ論理的にありえないはずで、その前提となる価値観を明示せず、すべてが自明の前提に基づく当然の結論であるかのように書く著者の文体は、私のようなものにはかなり欺瞞的に写りますし、著者の主張に納得できない人には、なにかたちの悪い詐術にひっかかったような印象を与えるのではないでしょうか。
そのような矛盾はいろいろなところに現れていて、たとえば、「価値観は構造的メカニズムの派生物に過ぎない」のなら、「ロマンチシズムに固執する大人世代」に宮台先生が説教するのもムダだということになるはずだし、「共同体が失われ、一神教的な父なる神のいない社会では、原理的に良き父親と悪しき父親の区別ができない」のなら、いくら個人の自己決定能力を鍛えたって、それがよい方向に収束する保証などないのではありませんか?
著者が多用する、「社会学では」とか「社会システム理論では」というフレーズも、ややコケ脅し的に響きます。そもそも、社会科学がどこまで客観科学足りうるのかということ自体、一定の留保が必要なのではなかったでしょうか。
そんなわけで、素直な人や、理屈や権威に弱い人には、正直あまりお勧めしたくない本なのですが、もちろん、賛成できる部分もあったし、それなりにインフォマティブでもあったので、星3つ。
屋上から何が見えるのだろうか?
(2002-11-30)
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自己調査としての社会学
(2002-02-04)
著者である宮台氏は都立大学で教鞭をとりながら、
街へ出歩き実地調査をする、名うてのフィールドワーカーでもある。
冒頭、社会学的フィールドワークと民俗学的フィールドワークを対峙させて
前者は自己を見つめなおす手段として、後者は他者が放ったコトバを自己のコトバに浄化させることで他者の理解を深める手段として存在する、と
述べている。社会学の本来的な目的は、他者を理解するのではなく、自己に対する認識コストを費やすことなのである。
だから、テレクラも都市郊外論もコミュニケーション論も社会の中に
浮遊する自己を理解する突破口にすぎないのである。




