岩波書店
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カスタマーレビュー ![]()
なぜ? それはいつも。。。
(2008-07-21)
山本七平の「なぜ日本は敗れるのか」を読んだ。
本書の主題と根は同じと感じた。
実学が虚学化して、精神修養、英語道へ。というのは、
時代遅れの武器を芸の域にまで完全に使いこなす精兵の養成へ。と流れた
日本軍のありかたと同じだ。
要するに、力を向ける方向をしっかり見定める必要があるということ。
英語の目的は、精神修養ではあるまい。
「今、日本という国家に必要とされている英語はどんな英語か」という視点
(2008-07-11)
タイトルには惹かれなかったが、読んでみると意外と面白かった。この本、タイトルのつけ方を間違っているのである。
本書は、「日本人はなぜ英語ができないか」について論じた本ではなく、日本の中学・高校・大学で行うべき外国語教育のあり方について述べた外国語教育改革論。「英語教育の専門家による、日本の英語教育の歪みや英語に対する世間の誤解を嘆くような内容の本だろう」と思っていたのだけど、言語社会学を専門とする著者独特の議論を展開していた。
著者の主張は明快で、明治時代と現在とでは国際社会における日本という国家の位置づけが全く異なること、明治維新に始まる英独仏語訳読中心の外国語教育は、遅れた小国が欧米の優れた技術・思想を専ら受信すべきであった時代に適応的なやり方であったこと、まがりなりにも世界の経済大国の一員となった現在求められている外国語教育は、欧米語に偏重せず近隣アジア語・ロシア語・アラビア語等を含む多言語による、日本の技術・思想・伝統文化についての情報発信を可能とするものでなければならないこと、そのような外国語教育は本当にそれを必要とする学生にだけ施せばよいこと、を繰り返し述べている。
著者が英米文学や英語教育そのものを専門とする学者ではないことが本書を読み応えのあるものにしているのだろうと思う。英語教育の専門家による類書に欠けていて本書にあるのは、ここ200年程度の国際関係の歴史を踏まえた上での「今、日本という国家に必要とされている英語はどんな英語か」という視点。
書き下ろしのはずだが、後半ややツギハギ感を感じた。若干右翼的な雰囲気は好みではなかったが、戦後生まれの多くの読者が当然と思っているようなことを戦前生まれの著者は当然とは見なしておらず、その視点から学び取れることは多々あるように感じた。
著者の意見に賛成
(2007-08-14)
本書は、個人学習者に向けたノウハウ書ではなく、今後のあるべき英語教育の方針を記したものだ。著者の主張をまとめれば、日本が世界の周辺国で、海外のより優れた文化を受け入れるだけの時代だったなら、現在まで学校教育の場で続いてきた、原書の講読を中心に英米の文化・習慣の紹介を加味した、いわば受信型でよかったが、日本が経済大国になって海外から日本に関する様々な情報の発信が求められるようになっている現在は、英語学習の現場も発信型、すなわち日本の情報を英語という媒体を用いて外国人に説明することを目的に、コミュニケーション能力の育成を中心にすべきということだ。しかも、単純に学校での英語の授業を、読み書き中心から会話中心に変えよというのではなく、英語教育を今後の日本という国のあり方に適合した形に変えていくべきだというのだ。
著者は、多くの日本人が持っている英語くらいは出来るようになりたいという気持ちの中には、英語そのものの運用能力を身につけること以外の、自覚されていない動機が隠されているという。それはつまり白人に対する根強い憧れであり、なぜそうなったのかといえば、今までの受信型の英語学習法が、学習者が無意識のうちに英米の価値観に自分たちを適合させて、究極的には英米人のようになることを望む傾向を助長するものだったからだと述べる。それゆえ、今後の望まれる発信型の英語授業では、日本人が身近な事柄について書いた文章を教材として取り上げ、それを英語を媒体にして他人に伝達するスピーキング・ライティング能力の育成を主眼にすべきだと主張していく。著者の主張はまことに合目的でおおいに賛同する。
選択的な英語教育に賛成
(2006-09-30)
鈴木孝夫氏の説く、日本の英語教育効率化のために
「強制的なバラ撒き教育はやめて選択制にすべき」という考えに大賛成。
理由は、私自身、仕事でおつきあいする英語ノンネイティブスピーカーの外国人
(イスラエル人、ノルウェー人、サウジアラビア人など)の例をまのあたりにして、
鈴木氏の提案の正しさを実感しているから。
企業間の会議に出てくるこういった外国人たちは皆さん、
企業人として国際人として通用する実践的な英語を身につけている。
上記のような国々の国民の大半は、英語が流暢なわけではない。
しかし、英語ができてしかるべき職業や立場の人たちは皆、見事な英語をあやつる。
それに引きかえ日本では、英語の知識のある人は驚くほど多いが、
実際に意見を発表したり議論をしたりするレベルで使える人は驚くほど少ない。
これはやはり、平準化をめざしすぎる英語教育のありがたくない遺産だ。
例えばノルウェーでは、大学の教科書など専門書は基本的にノルウェー語に訳さず、
英語のまま使うのが普通だそうだ(人口が数百万人と少なく、翻訳コストが高いため)。
そして英語で授業をする場合が多いのだという。だから、ノルウェーでは大学教育を
受けた人のほとんどは英語が自由に使えるという。
これなど、まさに選択集中的な教育だ。
明治時代の日本でも実際、そうやって成功していたではないか。
いつか、鈴木氏の主張が日本の教育に反映されますように。
英語を必要とする日本人が全員、道具としての英語を駆使できる日が
くるよう、願ってやまない。
全くその通りです!
(2006-08-18)
この本の主張を「結論だけ」伝えると、
多くの人が猛烈な拒否反応を示すのではないか。
では早速書いてみよう、その結論を。
1)英語は一部のエリートだけが勉強すればよい。
2)学ぶべきは言語のみであり欧米の文化を学ぶ必要はない。
3)欧米人の発音を真似る必要などない。
いやはや。
英語公用語化も含め「国際化」が叫ばれる現代の世の風潮に
真っ向から逆らう意見ではないか。実に過激である。
しかしながら、この本に書かれた論拠は実に筋が通っている。
過激な結論も、順序だてて説明されれば納得する人も多いのではないか。
論理的な破綻もみあたらない。
もしもあなたが、同じように上記1)〜3)の主張に反発するのであれば、
是非この本を読んでいただきたい。
(逆に言えば、賛同するなら読む必要はない)
それでも納得できないなら、作者の主張に論理的な反駁をして欲しい。
あくまで「常識論」や「感情論」ではなく、「論理的に」だ。
そしてそれは相当に難しいはずだ。
最後に、作者と意見の同じにする私の主張。
ビジネスの世界で欧米人と付き合う場合、
流暢な発音で彼らに同化するよりも、
下手な発音でも自分の意見を押し通したほうが「身」になることは多い。
彼らの言っていることが判らなかったらどうするかって?
「お前の英語は早口でよーわからん、ゆっくり喋れ」と言えば良いのだ。




